かじかのつぶやき

絵を描き 写真を撮り 本を読み 猫と遊ぶ ときどきお仕事な日々。。。

オバサンはお厚いのがお好き♪

お題「これ買いました」

[猫飼いあるある]↓↓
机に向かってパソコンを動かしてると、
10回のうち9回は猫が飛び乗ってきて、キーボードを踏んづける。
最初は慌てて、猫をすぐに机の下におろすんだけど、
そのうち(来るぞ・・・)って予感がするので、
飛び乗る前にキーボードをさっとどける。
ワイヤレスなので、パソコン机の隣にある本棚の隙間にしばし突っ込んでおく。

そんな事が何度かあった後、キーボードがおかしくなった。
文字を打つと、おかしな表示になる。
例えば「い」を打つと「いぃぃXXXX」と変換してフリーズ。
backspaceキーを押して消そうと思っても、ウンともスンとも動かない。
どこを押しても何もアクションが無い。
電源を入れ直すと、7~8文字は打てるが、またフリーズ。
仕方ないので、キーボードの電源ボタンを何度もON/OFFして少しずつ文字を打つ。
電池を入れ直しても変わらない。
Q太が5kgの体重を乗っけてしまったのが原因だろうか。
だましだまし使って半月。修理か買い換えか考えて、結局似たようなキーボードをAmazonでポチッとした。

5,000円でお釣が来るお値段

Bluetoothってのは便利だねえ。
私のようなオバチャンでも、サクサクと本体と接続出来た。
しかも、スマホともつなげられたので、スマホからSNSに投稿する際、文が長くなった時に楽ちんだわね。

それにしても薄いねえ。
何だかこれもQ太の体重に負けそうな気がする(不吉な予感・・・)


この記事も、新しいキーボードからパチパチ打ってるが、
(昔のアルファベットチョコみたいなキーが懐かしい・・・)
と、そんな事をふと考えてしまった。

アルファベットチョコみたいなキーボードってのはアレですよ、
最近は少なくなったけど、ちょっと前はデスクトップPCのキーボードって言ったら、
↓↓↓これと似た形だった。

www.meito-sangyo.co.jp


キーの一つ一つが厚みがあって、しっかり押して打つ感じね。
仕事してた時、職場のデスクトップPCがコレだった。
ノートPCで書類を作り、デスクトップで電子入札やネットバンキング、給与計算をしてたのよ。3月末まで。
ノートPCで文字を打つより、デスクトップの方が手指が疲れなかった。
文字数の多い書類の作成は、ノートじゃなくデスクトップで作る事が多かった。

そういえば、Amazonでも売ってたな。
すんごく安かったっけ。
そっちでも、良かったかなあ(何を今さら)。
まーでも、買って1週間も経たないんだから、まずは使い慣れて行かないとね。

で、Q太がまた踏んづけて壊したら、

次はお厚いのにするわ♪

止まれなかった話

新聞を契約すると、
暮れ頃には決まって薄い暦がついてくる。
高島易断による、九星気学に基づいた来年の暦ね。

我が家に届いてた高島暦

農家の作業に係る指針や、二十四節気六曜、日の出日の入り時刻などが記されていて、これを参考に農業や冠婚葬祭の日程を組む方もいらっしゃるのでしょう。

九星気学によれば、私は『一白水星』よ。(下リンク参照)↓↓

spicomi.net

そしてこの『一白水星』は、2022年は低迷運だとか。
季節で言うなら「極寒の真冬」ですってよ。季節は猛暑続きだが。

↑の高島暦によれば、
『何事も思い通りになりにくい一年です。悩みや不安を感じやすく、普段ならスムーズに出来るはずの事であっても苦労を伴いがちです。一旦立ち止まり、防寒対策を万全にして、安全に歩める方法を落ち着いて探して下さい。人生の一区切りをつける大事な一年になりますので、諦めずに根気よく取り組む事が大切です』
・・・とまあ、こんな調子で、今年はあんまり活発に行動しちゃ駄目よって言う事なんだろうな。

奇しくも、絵画教室の師匠が、九星気学に長けた方で、私の星回りを知っている事から、
「あなた、今年は動いちゃ駄目よ。今年はあんまり動き回ると良くないわ。立ち止まってじっくり考えて来年以降に活かしなさいね」
と言われたばかり。

卯年生まれの同級生達よ!
今年は派手な行動は慎んだ方が良さそうだぞ!(ここで言っても・・・)





そして、
一白水星、自重だなと思ってた先月末の事。

3月末に退職した私は、市内のハローワークを定期的に訪れていた。
その日は失業認定を頂く日で、午前11時までに受け付けをする為に市役所の隣の隣ぐらい(ザックリやな)にある目的地に向かい、車を走らせていた。

某市役所駐車場に車を駐めて行こうと考えた私は、まずは市役所を目指した。
手前の道には踏切のある変形T字路があって、私は左折して踏切を渡り、市役所Pへと入り、端っこの方に車を駐めた。

ドアを開けようとした際、ドアのすぐ近くに若いお巡りさんが立っていた。
私に向かって小さくおじぎを繰り返した。

(ん?なんか用?)
そこで考えた事は、
(あ!そうか!今日も暑いから運転も散漫になるから気をつけよう!みたいな交通安全運動ね。団扇とかもらえるのかしら?それともジュース?)

私は満面の笑みを返して、ドアを開けた。
警「(またおじぎして)すみません、あの・・・」
私「(満面の笑みで)はい~♪」(団扇の模様とか選べるのかな♪)

警「あの、先ほどですね、踏切を渡る前なんですが・・・」
私「はい~♪(まだ満面の笑み)」

警「一時停止するところ、不停止でしたので・・・・・・・」

 

私「・・・はい?」

 

あ。

あ。。。

あああああああああ!!!!

やっちまった―――――――――!!!

・・・おわかりいただけただろうか?H市民の皆様。
そう、あの、踏切の手前、一時停止の標識あるよね。
普段なら車が結構通るから、一旦停まる流れなのだが、
その時は直進車が一台も通っていなかったから、ついつい徐行で左折してしまった。


ふと前を見ると、市役所Pの端っこ近くにパトカー停まってる。
いつの間に?
どこで見てた?
全然気づかなかった!
のろのろと市役所Pに入り、のろのろと端っこに駐めた私の後ろを、このパトカーものろのろついてきたのよね。
何という注意力散漫・・・だいじょぶかアタシ(汗)

警「踏切では一時停止されてましたが、あそこは2度、停まらないと・・・」

私「ああそうですね・・・すみませんです(;´Д`)」

脳天気に団扇もらえると思ってた私は、
交通違反の告知書と反則金払込通知書を渡された。

7,000円。

警「1週間以内にお支払いがされない場合は出頭となりまして云々」

暑い中、丁寧に説明する若いお巡りさんが何だか不憫に思えてきた。
11時にハロワに行くと言った私に、大急ぎで書類を書き、違反した私の方が悪いのに、何故かとても腰が低いお巡りさん。

最後に「安全運転でお願いします」とお辞儀をする彼に、思わず、

私「すみませんでした。暑い中ありがとうございました。お体気をつけて」
と、声をかけた。するとお巡りさんはマスク越しの目がニッコリと笑い、
「ありがとうございます!」と敬礼しながらまた頭を下げた。

自動車の免許を取得して40年。
初めて違反を見つかってしまった衝撃(笑)で、しばらく呆然としてたけど、気を取り直してハローワークへと歩き出した。

失業認定は数分で終了。
セミが賑やかな炎天下の道に再び立ち、さっき起こった出来事を思い返す。
と、同時に、絵画教室の師匠の言葉が脳裏に浮かぶ。
(あなた、今年は動いちゃ駄目よ。今年はあんまり動き回ると良くないわ)

停まれば良かった。
動いちゃったよアタシw

市役所Pに戻って来ると、先ほどのパトカーが路地に停まっていた。
すぐそばにバイクの男性。
ああ。あの人も動いちゃったのね。ドンマイ。

夜になって、
帰宅した加とさんに一部始終を話すとゲラゲラ笑ってたw
まー、加とさんもうんと昔、別の場所で同じ違反をやらかしたからねえ。

加「違反してありがとうなんて言う人いないよw逆ギレして暴れる人だっているんだから」

そうだよねえ。確かに停まった!と言い張る人や、
違反するの待ってて金取るんかい!とか、言う人はいそうな気がする。
私はそんな事出来ないしする気もない。

帰り道、地元の郵便局でさっさと反則金を払ってきた。
無職で7千円はなかなかの出費だ・・・仕方ないけどな。


と言う訳で、
卯年生まれの同級生達よ、
今年は、一時停止はきっちり停まろうな!!(今年だけかい!)

どんまいアタシ!

字引LOVE

ネットで色々と調べ物をしていると、
意味を知らないカタカナ言葉が沢山出てくる昨今。

『IT』というカテゴリが日々の暮らしに浸透し始めた頃から、目新しいカタカナ言葉に多く出会う様になった気がする。

私はアナログな人なので、そういうカタカナ言葉にてんで弱い。
解らない言葉が出てくるたびに、スマホで検索すれば済む事なんだけど、
私はほれ、アナログな人だから、辞書で調べたい訳よ。
頁をめくりながら、解説を読みたい訳よ。

先日、「オルタナティブ」と言う言葉に突き当たり、意味を調べようと辞書を引いた。

・・・出てない。

で、結局スマホで検索して意味を調べた訳なんだが、唐突にある気持ちが湧いた。

 

辞書が、欲しい。

新しいやつ。

スマホのアプリだってしょっちゅうバージョンアップしてるんだから、辞書も新しい方が良い。
そう思い至ったら、居ても経っても居られなくなって、ネットで今発売されている国語辞典を調べ始めた。

これまで愛用してきた辞書は、小学館の「新選国語辞典」。
これは27年前に、中学時代の友人から贈られたものだ。
1995年の早春、私は結婚が決まって、もうじき始まる新しい生活への期待と不安で舞い上がっていた。
そんな時、中学時代に仲良しだった友から電話があり、結婚祝いは何が良いかと聞かれた。

私は即座に、

「国語辞典と漢和辞典!」
と答えた。友は爆笑し「それで良いの?」と聞いたが、私は「それが欲しい!」と答えた。
友は私の希望通りに辞書をプレゼントしてくれた。ありがとうね。

結婚祝いに頂いた、小学館新選国語辞典第七版と、新選漢和辞典第六版


今となっては、何でまたお祝いに辞書が欲しいと言ったのか、自分でもよく解らない。
合格祝いでも進学祝いでも入学祝いでもない、結婚祝いで、だ。

一体何を考えていたのかアタシは。

その辞書は、今年の3月まで勤めていた会社で、私の机の前に置かれ、事務仕事の強い相棒だった。パソコン作業で全て完了する時代になっても、私は紙の辞書を引く事を続けた。
退職の際、事務所から私物として引き上げた。
今は自室の本棚に収まっている。


振り返れば、
小学校1年の入学時に買って貰った、小学館の「学習国語辞典」は、6年間ずっと私の傍らにあった。
その頃は、辞書を「よみもの」と思っていて、あいうえお順に並ぶことばの意味を読むのが面白かった。適当に頁を広げ、そこに出てくることばと意味を読み「ふむふむ」と思うぐらいで、知らない言葉の意味を調べる、のが正しい使い方なのだと解ったのは、大分大きくなってからだった。

携帯するにはどう考えても無理なので、電子辞書なるものも買ってみた。
広辞苑が入っていて、他にも漢和辞典、英和・和英辞典、四字熟語辞典、ことわざ辞典に、何故か「家庭の医学」も組み込まれていて、いかにも万能選手だったけど、私はアナログな人だから、さほど活用しなかった。
※その電子辞書は、今では母が脳活パズルの助っ人として重宝してます☆

辞書の頁をめくりながら、ことばの意味を調べる楽しさよ♡♡

そんな私の字引LOVEが、数年前に急上昇した↓

書店の辞書編纂部に配属された編集者が、新しい国語辞典を世に送り出すまでの熱い日々を描いた作品で、私は益々辞書が好きになった訳よ。

映画も観ました♡↓↓

日本語を大事に思う人々の愛と熱意に、私は神田まで「広辞苑」を買いに行きそうになったもんです(そんなに遠くに行かんでも)。

ああそういえば、40年ぐらい前に母方の叔母が結婚した時の引き出物が三省堂の「広辞林」だった。
引き出物が大型辞書ってのは、持ち帰るのが相当重たかったと思う(母よ、お疲れさま!)が、辞書好きな私はすぐに「ちょうだい!」を連発してゲットしたのだよ。
大分前のものだから、開く事は殆ど無くなったけど、今も本棚に鎮座しとる。

でもって、
新しい辞書が欲しい!と、目覚めてしまった私ですが、
手に入れましたよ!しかも2冊!(何やってんだろ・・・)

左が小学館新選国語辞典第十版、右が三省堂国語辞典第八版。

市内にある丸善書店に行き、
オルタナティブ」が出ているか確認した。

出てた!出てたよ!(喜)

 

以下、各々の辞書より引用↓

三省堂国語辞典
オルタナティブ】[alternative] 

①今までのものにとって変わるもの。[資本主義に対する――]
②代案。

小学館新選国語辞典』
【オルタ(ー)ナティブ(ヴ)】[alternative]

①二者択一。
②代案。代替品。

・・・微妙に違う気がするのはアタシだけ?

他にもあれこれ2つの辞書で調べ比べてみたんだが・・・

ううむ。


日本語って、難しいな。(強引にまとめに入る)
私は語彙力も無いし。
オトナは語彙力が必要らしい。。。

まずは言葉を読んだり聞いたり話したり、だよな。

今回新たに買った辞書が、今後のワタシの日本語力を磨いてくれる事を願いつつ、今日も長文ブログを書いてしまったのであります。

お読み頂き、ありがとお!!!

第二ラウンドへ。

父方の祖父はいつも、
私を抱っこして橋のたもとや川沿いの小道を歩いた。
やっとヨチヨチ歩きの私は何も覚えていなかったけど、父母からそんな話を聞いていたので、祖父との思い出は、無いようで、あるのだ。
禿げ頭に黒縁めがね、口が悪く、ニコリともしないお爺さんは、私には優しかったそうだ。
祖父は、私が6歳になった時、父と同じ呼吸器の病気でこの世とおさらばした。

その祖父が創業した会社を、
長男である伯父が株式会社にし、大手町勤務だった次男の父は、兄を助ける為に企業を辞めて、地元に帰った。

それから10数年後、
私はその会社で、図面引きのバイトを始めた。
デザイン学校で製図を習っていた私は、夏休みから年明けまで、何枚も造園工事の平面図や詳細図、立面図に断面図を仕上げたものだった。

そして成人式の前後も図面引きのバイトをし、そのまま正社員になった。
38年前の事だ。

そうやって図面作業人員として入った会社だから、図面の仕事が無くなった時点で辞めても良かったのだ。もう手書きでの仕事がないならそこで終わり。
だが、父は私に経理の仕事をさせる様になり、お金の管理なんか大嫌いだとぶうぶう文句をたれながらも、伝票整理から振り込み業務まで、あらゆる事務仕事を任された。
見積書・請求書等の作成も担当した。その頃には、書類も手書きからワープロ作業へと変わって行く。
ワープロ専用機のSHARP書院や、富士通OASYS、さらには東芝のRupoで、何通の書類を作成した事か。(ちなみに当時はかな入力でした)

伯父は代表取締役を退き、代わりに父が就任して会社を支えた。雑務も増えて、いよいよ辞めにくくなる私。。。

そして、MS-DOSのパソコンが置かれ、否応なしに給与計算ソフトによる給与計算も任された。不器用でお金の扱いが雑な私には、もうRupoの時点でキャパオーバーだったんだが、コマンドを覚え、恐る恐るキーを押し、ローマ字入力練習帳みたいなのを買ってきて、毎日パチパチ打つ練習。
もう無理!もう無理!言いながらも、段々と覚えて行く私。必死だった。
PCも、Windows95、98、Meとバージョンアップしていく。テンションが上がった。
それと同時に、Excel、Word、一太郎が使いこなせないと仕事にならなくなった。頭を抱えた。何冊もテキストを買って勉強した。(多分受験の時より勉強した)
こういう作業、専門の人を雇えよ!アタシの仕事じゃねーよ!!と文句を言いながら、キーボードを叩く。タイピング速度が上がっていった。
官公庁に提出する申請書類も山ほど作って押印し、机の横に積み上げた。
アタシは図面屋じゃなかったっけ?なんでこんな事しとるの?自問自答の日々だった。

その後、父は社福法人の立ち上げに関わり、会社から離れた。
その時点で「今度こそ!」辞めようと思ったのに、山積みの仕事が私を引き留めた。
父の壮大な置き土産を引き継いでしまった。
会社は、伯父の長男(つまり私の従兄)が継いだ。

そしてまた10数年が過ぎた。従兄が退任となり、生え抜きの従業員が4代目となる。
そこで辞めれば良かった。
でも、祖父や伯父、従兄、父が残したものを守らねばと言う気持ちが育って来て、私はそのまま残る道を選んでしまった。
そして6年が過ぎ、
世代交代と言う風が吹いてきた事に気づいた時には、もう会社が以前のままじゃない事を思い知る事になった。(だから従兄と一緒に辞めとけば良かったのよ)

祖父も、伯父も父も、もういない。
若かりし頃に相談に乗ってくれた従業員さん達はみな旅立たれた。
従兄は新天地で生きている。心配かけたくない。

孤軍奮闘してきたけれど、そろそろ終わりにしようと考えた2021年。
もうちょっと先の「区切りの年齢」まで頑張ろうとも思ったけれど、
自分が今ここで、どうしたいか自問自答した結果、去る事を決めた。

思い立ったが、吉日だぜ!!

でも、ハタチから40年近く同じ場所で働いていると、会社が自分そのものの様で、寂しくてならない。何も知らない学生だった私をここまで育て導いてくれたのは、この小さな会社だった。ここで私はずっと守られてきたのだ。
去ると決めてから一層、いとおしく思えて来た。

そんなだから、私の業務が4月以降もずっと順調に進んで行くのか、心配がつのる。

そんなんじゃ辞めなければ良いのに、と言われてしまいそうだが、
ズルズルと居座るような事はしたくなかった。
3月31日をもって、私は退職した。

職場の近所に、
就労当初から親しくして頂いた地主さんや株主さんがお住まいで、退職の挨拶に伺うと、皆様一様に驚き、寂しくなるわねと惜しんでくれた。
涙ぐむ奥様の顔を見ると、辞めた決心が揺らぐ。小さな後悔が湧く。

大事に思って下さった人がこんなに間近にいたんだなあ。
今、気づくなんて。

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従業員さんが贈ってくれた花。

従業員さん達からも感謝の言葉と大きな花を頂いた。ありがたい。
会社の取締役を務めるもう一人の従兄(父の姉の子)からもプレゼントを頂き、いつもの退社と変わらぬように出て行こうとしていたけど、感激と切なさで溢れた。

4月から、私はどこにも属さない、フリーな人間になった。
なのに、なんだかまだ社員だった頃の感覚が抜けない。
4月は厚生年金の料率が変わるんだっけな、労働保険の更新しないとだよな、などと余計な事を考えてしまう。

でもきっと、それも抜けて行くだろう。時間が解決してくれる。
心身共にフリーな気持ちでいられる時が来たら、

私は、絵の世界に再び戻って行こうと思っている。

年明けの日常

2022年がスタートした。
毎年思うんだけど、
気がつけばとっくにお正月的なものは姿を消し、
街に出ればもうバレンタインのチョコやらおひな様やら、
新入学用品なんかも出回りはじめた。

季節はヒトを追い越し、
先へ先へと進んでいく。
売り出しているのはもう「春」なのだ。

が、真冬の寒さはこれからだ。
雪だって、降るのは来月の方が多い。
池の氷が太陽の熱でも溶けないくらい厚くなるのも、来月だ。
「冬」はこれからなのだ。

正月休みのある日、
まな板を右足の上に落とした。

まな板ですよまな板!マナイタ!!

激痛なんてもんじゃない。
もうね、息が止まりそうな衝撃だったわよ。

その日は、献血ヲタクな加とさんの血抜き始めの日で、
川越にある献血ルームに私もついていく予定だった。
しばらく足の甲を撫でさすっていたら、段々痛みが薄らいだので、
予定通り、私は加とさんにくっついて行った。

加とさんはいつも「成分献血」(採取した血液から、血小板など決まった成分のみ分離採取し、残りは再び身体に戻す)なので時間がかかる。私はその間、川越駅周辺の店をあちこち回って買い物などしていた。
そろそろ時間かなと思い、献血ルーム近くのカフェに寄って待つ事に。

そこからが大変だった。

まな板を落とした右足が腫れて痛み出した。
それまで何とも無かったのに。
ズキンズキンと脈打つのが解る。
なんで?
痛いのは終わったんじゃないの?

やがて、献血を終えた加とさんがカフェまでやってきた。
立ち上がろうとすると右足、激痛!!!
お寺で囲炉裏に蹴躓いて傷めた左足指の痛みも残っていると言うのに。
両足痛いって、どゆこと???

こういう時、杖があると助かるんだろうけど、私は杖を持っていない。

ヨロヨロしながら車に戻り、あまりの痛さに、途中でドラッグストアに寄ってもらい、湿布薬を買った。
車内で靴を脱ぎ、腫れぼったくなっている足の甲にそれを貼る。

あああ。痛いのは朝だけだと思ったのにぃ(ノД`)

帰宅後、変な歩き方をする私を見て驚く母に、今朝の顛末を話すと、
母「それじゃあお祓いした方がいいよ。何かあるのかも」
などと言い出した。

休み明けにでもまたレントゲンを撮って、折れてたらこれは

「お祓い案件」

だよなあ。。。

天中殺が明けるのは元旦だと思ってたんだけど、どうやら2月半ば過ぎらしい。

まだまだ災難発生確率高いのか・・・

年明け早々、どうなってんだ私!ああ痛い・・・(泣)

が。

翌朝起きて、恐る恐る歩いてみたら、

全く痛くなかった。

昨日のあのズキンズキンは、どこへ消えた?

足首を回しても痛くない。足の甲を押しても痛くない。

まな板直撃の痕は、すっかり消えてしまったのだった。

3週間が過ぎた今、どこを押しても痛くない。
本当にまな板が落下したんかい?と疑いたくなる状況。

まぁ、痛くないならそれでヨシ。
治ったって事で。
過ぎてみれば、不思議な体験だった。




1月ももうじき終わる。

そこで、はてなブログのお題に答えてみますかね↓↓↓

今週のお題「現時点での今年の漢字

現時点では、
私が感じる今年の漢字は、

『峠』かな。

もうそろそろ、峠を越えるんじゃないかとね。
希望的意味合いもあるけどね。

願う事は、
2022年が、誰にとってもかけがえのない一年でありますように。

今年もよろしくお願いします。

つまずいた話。

師走は短い。

あっ!

・・・ちゅう間に、正月がやってくる。

師走って、本当は半月しかないんじゃないかとさえ、思うんだ。

でもって、
色々とやる事も多い。
だから短く感じるんだよって?そんな事ぁ解ってらい。

そんな中、
菩提寺冬至の祭事があり、初めてのお手伝いに参加してきた。
殿方は参拝客の受付やらお接待。
ご婦人方は厨房での裏方作業。私が参加するのはもちろん、裏方。
揃いの白い割烹着、手ぬぐいで頭を包み(忘れてしまい、先輩から借りました)、お料理やお茶の用意をするお仕事。

亡き父は、
オレ様親父パワー全開で総代長などやっていたらしい。
私も母も、そこら辺の事は全部父まかせだったのでよく知らなかった。

なので、供養の思いも込めて、今年は私が参加した訳でございます。

お寺はとても古く、裏方作業をする場所は土間で、山中の冷気が扉のすき間を抜けてくる。重ね着して来たけれど、元々足腰が冷えやすい私は、動きも鈍い(普段からだろってコメントは現在受け付けておりません)。

座敷にあがり、住職と役員さんの顔合わせと挨拶があり、終了と同時に持ち場に戻るんだが、そこで「事故」は起きた。

慣れない場所ゆえ、囲炉裏の角の出っ張りに気づかなかった私は、
左足で半ば囲炉裏の枠を蹴る様に、つまずいてしまった。

 

(・・・!!!!っ痛ぁ・・・・・・!!!)

一瞬、息が止まるほどの激痛だったけど、なんとか素知らぬふりをしてその場を離れた。

できるだけそーっと靴を履き、土間に足をおろした。

激痛!
足を地面に着けられない。
でもなんとか、なんとか、そっと足を動かして、ゆっくりと持ち場にもどれた。
身体中が硬直し、全身で痛みを受け止め、何事も無かったかのように、厨房まで戻った。

8年前の夏。
私は障子の桟に足の薬指をぶつけ、赤紫色に内出血した指は激痛で、レントゲン検査の結果、剥離骨折をしていた。
全治2ヶ月。
今回も、あの時と同じくらいの痛みだった。今度は中指が折れたなあ。
・・・その時は、そう思った。

お寺デビューの日に、朝の挨拶直後に骨折してリタイアとか、下手なコメディみたいな話だ。せっかく父の為に、と思ってやってきたのに、足痛いからイチ抜けまーす、じゃ、役員さん達にも迷惑がかかる。

私は激痛を隠し通す事にした。
幸い、ゆっくりなら、びっこをひかずとも歩けた(激痛は変わらんけど)。
私が一番若いのだから(どこでも高齢化問題はあるよね)一番動かなければいけない。
なのに、動けない。びっこをひいてたら気づかれる。とにかく、我慢だ。

昼食はお寺からお弁当が配られたので、座敷にあがり、ストーブのそばで円になっていただいた。正座しようとしたら激痛!斜め座りでなんとかしのいだ。

午後になり、祭事も終了して慰労の集まりがあった。
役員さんにお茶を出す時、敷居に蹴躓いた。・・・いったたたたたた(ノД`)
でも我慢、我慢。

やがて終了、解散。なんとか一日つとまった。

ヨロヨロしながら家に戻り、おそるおそる、靴下を脱いでみた。
案の定、左足中指は赤紫色の内出血があった。
人差し指から薬指までの、指の付け根と足の甲は青く染まっている。
こりゃ中指だけじゃないのかな・・・

とりあえず、家にあった固定用のテープで、人差し指から薬指までグルグル巻いて固定した。するといくらか痛みがひいた。

こりゃ行きつけの接骨院で診てもらうしかないよなあ。
でも、固定するだけで骨がくっつくなら、自分でテーピングして自力で治してもいいかな。

・・・そんな事を、その後丸一日考えてた。
でも結局、折れてるかどうかレントゲンは撮っておこうと思い、2日後に接骨院を受診した。
院長は青紫な私の足を見るなり「あ、駄目だな・・・」とつぶやいた。
だ、駄目って事は、アレですか?やっぱオレちゃったって事ですか(;゚ロ゚)

まずはレントゲン。

隣にある医院でレントゲンを撮ってもらった。

結果はと言うと、

 

「折れてませんねえ・・・」

私「へ?」

PCのモニターに映し出された私の巨大な(笑)足の骨は、きれいにくっついて揃っている。8年前に見た、下手に割ってしまった割り箸の様な骨折部分はどこにも無い。

折れてなーーーい!!(byジレット)

レントゲンデータの収められたDVDを持って接骨院に戻り、院長に渡して再び見てもらったが、
院長「折れてないねえ・・・?」

じゃなんでこんなに痛いんだ!!

もしかして、突き指、的な?? でも内出血は何故??

でも安静にしておいた方が良いのは間違いないので、冷やした後、湿布とテーピングをしてもらった。

院長「山育ちだと骨が強いのかなw」
私「いや、どうなんでしょうw」

10年前の骨密度検査では、実年齢より-12歳だった(つまり30半ば)。
それから大分経ってるし、さほどカルシウムを摂ってた訳でもないから、骨密度はかなーりスカスカだと思うんだけどねえ。

まぁともかく、

折れてなくてよかった。

足先をぶつけた当初は、
仏様に見放されたんじゃないかとやさぐれてた私だが、
折れてないと解るやいなや
仏様のご加護じゃ!ありがたや!と、なる私(笑)


激痛だったあの日から4日経った。
赤紫の内出血は大分薄くなったが、指の付け根の青あざは消える様子が無い。
歩く時、指と指の付け根の裏側が痛む。なのでちょっとびっこひいてる。
立っている時、足を床にぐっと押しつけるように立つと、痛くない。指が伸びるからかな?て事は突き指的な怪我かな。

どっちにしても、
今年は寝違えを2度やらかした(8月と12月)。
さらに難病再燃。下血が続いた。
そしてダメ押しの足指負傷。
メンタルも落ちたし、色々と慌ただしい日々だった。

2021年がこんな日々になるなんて、正月の頃には予想もせんかった。

天中殺と大殺界。怖いな。
来年はマジで良い年になって欲しい。

と言う訳で皆様、今年もお読みくださり、ありがとうございました。

来年もゆるゆると記事を書いて行きます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

良いお年をお迎えくださいませ。

追記。
その後も、左足中指の腫れは引かず、
やっぱり折れてるかもって事になった。
でも、ごく微細な欠けや亀裂じゃないかと。
まー、どっちにしても安静よ、安静。
痛みも日々軽くなってるしさ。

衝動買い!

ある日、
見慣れない段ボールの箱が宅配で届いた。

中身は、母が衝動買いしたスロージューサーとか言うキッチン家電だった。

また違う日には、
なにやら大きく重い段ボール箱が届いた。
父が衝動買いしたトレーニング機器だった。

父は我が家の『KING OF 衝動買い』母はQUEEN OF(以下同文)』。

セラミック漬物器とか、1度使って終わった。
上のスロージューサーは未だ未使用。
足を鍛えるとか言う『レッグなんとか』ってトレーニング機器は、
その後どこかへ消えた。

私は危機感を覚えた。

(ショッ○チャンネルはキケンだ・・・)

幸い、父母は自分でもこれはお金の無駄だと気づいたのかどうか知らんけど、それからその番組は見なくなった。なので「大きい衝動買い」は無くなった。

「小さい衝動買い」は、その後もあった。
父の死後、下駄箱に遺された未使用の靴は、同じサイズの従兄が引き取ってくれた。
安いのやら高いのやら、いつ履くんだよって言うような若々しいデザインのもあって、父が存命でも、おそらく履いて出かける事はなかっただろうな。

母は相変わらずパッパッと洋服を衝動買いする。先日も某所で、パンツとカットソーを数分で買ってしまった。「あわわわ」と私が焦る間もなく決めてしまう。
私も衣類の物色は時間をかけない方だけど、母はそれより早い。

早すぎて無駄な買い物をする事も多い。
一昨日、押し入れから未使用のハンドバッグを出してきた。
高島屋の通販カタログを見て数万円で買った爬虫類の皮のハンドバッグ。
なんちゅう散財・・・注文してブツが届いたら熱が冷めたってヤツね。
さすがQUEEN OF(以下略)。

棄てるって言うから「要らないならくれ!アタシが使う!」と、強引にもらったんだが、袋から出すと、それはそれは上品なマダム向けのグレーで、形も実にオーソドックスな「ザ・ハンドバッグ」なのだ。
これを手に持つには、着る服が限定される。
フォーマルな装いでないと釣り合わない。
普段、トレーナーとよれよれジーンズにスニーカーと言う出で立ちの私が持ったら、どう見ても、どこかからか盗み出して来た、みたいな図になる。
そこまでいかなくとも「誰かに借りた」としか思われないのは確定。
もらったはいいが、使うシーンが、無い(きっぱり)。

ま、いいや。誰かの結婚式によばれたら使おう。(そんな機会あるかしら)

そんな私も、


とうとう衝動買いをしてしまった・・・

ほんのデキゴコロだったのだ。
魔が差した、としか言いようが無い。

きっかけはSNSだった。

Facebookのタイムラインに、
「野菜は茹でると栄養価が落ちる云々・・・」という文章が上がってきていた。
それはもちろん知っていた。が、その後に続く文章で、
無水鍋などでボイルすれば栄養価が落ちない云々」とあり、私はふいに「無水鍋」に興味を持った。

その昔、我が家には電気ムスイ鍋なるものが存在した。
平成になる前の話だ。
確か、地元の某所で電気調理器の実演販売があるとかで、地域のご婦人方が集められたのだ。そこで口八丁手八丁の販売員が繰り出す「技」に興味津々となったご婦人方が、数万円のムスイ鍋をお買い上げになった。母もその一人だ。

購入後、その鍋は使いこなすのが難しいと判り、やがて「消えた」。

なので、むすいなべ、と聞くと、私はあまり良いイメージが浮かばない。

が、この時は違った。
ホンモノの無水鍋はアルミの打ち出し製で、誕生から半世紀以上を経て今も愛される調理器具なのだ。

musui.co.jp
色々調べるうちに、俄然購買意欲が湧いた。
衝動買い夫婦の子は、衝動買いDNAを引き継いでるんだよwww

 

がしかし、決してお安いものじゃない。
使い方が解らないから、レシピ本も揃えると2万超える。

にまん・・・

どうする?


どうする?

買っちゃう?
やめとく?

でもなんか欲しいよね。
使ってみたいよね。

使いこなせる?
そんなに料理好きだったっけアタシ?

でも圧力鍋は使いこなせるじゃん。

黒豆と玄米ご飯だけだけどな。

 

30年以上前、玄米ご飯を食べたい!と思い立ち「通販生活」でプレステージ圧力鍋を衝動買いした←親の事を言えない娘だw

あっちの方が高かったじゃん!

でもなぁ・・・
実際使いこなせるかなあ・・・

自問自答、30分。
悶絶、5分。

結局、ポチった。

そして届いた。

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amazonさんからお荷物キタヨ



緊張する・・・
どうしよう・・・買っちゃった。。。←今更何ぬかしよる

とりあえず、最初はまず、洗う。

そして、まずは野菜を茹でる!

レシピ通りにほうれん草を茹でてみた!



・・・焦げた。

物によっては、水分を少し加えるんだそうだ。


気を取り直して、ブロッコリーを茹でた!!


・・・茹で過ぎた。

加減がまだ解らない。
フタをしてしまうから、中身が見えない不安。

これをMy無水鍋に育てるには、まだ少し時間が要る。

それまでに飽きないようにしなければ←なんだよそれ

にまん、つぎ込んだんだから。にまん。

母に話したら「たははー」と笑われ「半分、出そうか」と言われたが「大丈夫ですから」とキッパリ言いましたよ、ええ。

圧力鍋を怖いと言って使わない人は割と多いが、
私は無水鍋の方が怖い(° △ °;)
沸騰すると「カタカタカタカタカタカタカタカタ・・・」と、
フタが恐ろしい音を立てる。
私はすぐに火を弱火にしてホッとする。
が、すぐにまた弱火でも「カタカタカタカタ・・・」と鳴りだし、不安で中を見たくなって、ついつい開けてしまって内部の蒸気を逃がしてしまう。
ブロッコリーを茹ですぎたのはそれが敗因。

こんな音にオロオロするようでは「My無水鍋」に育てられるのはずいぶん先の話だ。

使用後、クレンザーでキレイに洗う。今は未だピカピカツルツルの新品だけど、使い込んで色が変わるぐらいになるまで、どのくらいかかるかなあ。

その頃にはもっと仲良しになれると良いなあ。。