かじかのつぶやき

絵を描き 写真を撮り 本を読み 猫と遊ぶ ときどきお仕事な日々。。。

刑事さんに出会った日

小さい頃、
TVで放映していたドラマと言うと、
ほのぼのしたホームドラマと時代劇、それと刑事ドラマを思い出す 。

ホームドラマには、
大体しっかり者の「お母さん」が出てきて、
ちょっと頼りない「お父さん」や、ウッカリ者のお手伝いさん、
やたら生意気な「お兄ちゃん」とか「お姉ちゃん」なんかが家族にいる。

時代劇と言うと、
実在した有名人の生涯を語ったり(大河ドラマ的な)、
架空の「正義のヒーロー」的なキャラ(ファブルっぽい仕事人とかお殿様が桜吹雪のタトゥーあるとか)が、悪いヤツをこらしめてた。

そして、刑事ドラマは、
現実にはあり得ない様な「銃撃戦」と「カーチェイス」が毎週起こる!

毎週よ!
毎週どこかでバンバン「撃ち合い」よ!
日本の治安はどうなってるの!?
簡単に引き金引いて、それ、正当防衛とか引っかかるでしょ!

・・・と、今観たらツッコミを入れたくなるような展開で、
しかもそれなりに視聴率は高くて、俳優さん達も皆様本当に人気が「爆発」してた。

 

ああいう演出はTVの中だけの話で、
刑事さんも、実際は「公務員」として日々の業務を淡々とこなされているのだろうと思っていた。見た目も、普通にスーツとか動きやすい格好で、革ジャンだのジーンズとか、あれはTVの中での「おはなし」だと思っていた。

その日まではね。



今から37年前の、1986年。
秋も深まった11月半ばの事だった。
私は、勤め先の女性従業員さん(おばちゃん)達と、秋の慰安旅行(日帰り)に出かけた。
行き先は県内でも有名な紅葉スポットで、私は初めて買った一眼レフカメラを肩にさげ、替えのレンズや偏光フィルターなんかも装備して、赤や黄色に染まる渓谷を次々と撮影していた。
今思い出しても、あの日、あの場所で撮った紅葉が一番キレイだと思ってる。

渓谷の流れは深く、下に流れる川を眺めるとちょっと怖いくらいだったが、その日はあちこちで砂防工事をしていて、正直足元から下の風景は全く撮影に向かなかった。
大がかりな工事で、川は作業道が造られて建設機械が何台も動き、ダンプもせわしなく動いていた。道の崖側は建設会社の名前入りバリケードが隙間なく並び、私達の乗ったワゴン車は最徐行で、鮮やかに染まる山間の道を移動した。

おばちゃん達との賑やかで小さな旅は日暮れと共に終わり、私達は楽しい思い出と沢山のネガフィルムを抱えて、職場に戻って来たのだった。

それから数日経った、とある土曜日。
17時ともなるともう外は真っ暗で、私は職場で帰り支度をしていたんだが、事務所前に見覚えのないワゴン車が停まったのが見え、手を止めた。
ドアが開き、見知らぬ2人の男が降りてきて、事務所の前庭にいた伯父(当時は社長)と父(当時は専務)になにやら話しかけてきた。何を喋っているのか、細かい部分は聞き取れなかったが、軽い調子で
「どうでしょうねえ?お使いになりませんか?」
などと聞いている。伯父も父も、
「いやぁ、うちじゃあ現場では使わないんだよ」
と言って手を横に振っていた。
その後も何か話し込んでいた様子だったが、何か決まったのか、2人組の男はワゴン車に戻り、なにやら重たい、四角い機械をおろし、事務所の玄関脇まで持ってきた。
それは電気溶接機で、その名の通り「電気で溶接する機械」の事(ざっくりだな)。

我が社は造園・土木系なので、溶接する事はほぼ無い。伯父も父もそう話していた。
2人組のうち、年長の男は饒舌で、営業トークとか得意そうだったが、もう一人の男はとても若くて、ハタチかその下、私より年下だと思った。そしてなにやらおどおどしていた。

2人は機械を玄関先に置くと、じゃあまた!と去っていった。

私「どうすんのこれ?」
父「借金のかたに取り上げたんだと。うちで30万で買って欲しいって」
伯父「うちじゃあ用はねえなあ」
父「他をあたるんで、明日取りに来るから今日はここに置いといてくれってさ」
私「明日?日曜じゃん!」
伯父「俺がいるよ。どうせ出る予定だったし」

私はその溶接機を眺めてみた。
新品ではなかったが、機械の側面に貼られた社名シールに目が釘付けとなった。

「◎◎建設」

それは、数日前に某市の渓谷で大規模な砂防工事をしていた建設会社と同じ名前なのだ。

同じ会社・・・?
あの会社の事?
そりゃおかしい。

おそらく億単位であろう、大規模公共工事を受注出来るような会社が、果たして数十万の電気溶接機を借金のかたに取られるだろうか?

私はすぐ父にその事を話した。
父も伯父も「まさかw」と笑い、間違えたんじゃないか?と言ったが、いや確かにこの会社名だったよ!と食い下がった。

今と違い、インターネットなど無いから調べるには電話して聞くしかないが、解っているのは社名だけで住所も解らず、あの渓谷のある村の電話番号が載っている電話帳など職場には無かった。
新聞や電話帳では探せなかったので、父が渓谷近くに住む知人に週明けにも電話して聞いてみる事になり、のどかな田舎の土曜の夜は更けていった。

そして翌日曜日。
朝早く、2人は同じワゴン車でやってきた。
留守番で出勤していた伯父に向かって「手間かけてすんませんでした」と何度も頭をさげて機械を引き取って行ったそうだ。

うーん。
本当に借金のかた、なんだろうか・・・
うーん・・・

明けて月曜日。
父は知人に電話し「◎◎建設って知ってるか?」と訊いてみた。

知人「そりゃーこっちじゃ誰でも知ってるデカい会社だよー。そうそう、あの渓谷の工事もやってるよ。・・・電溶を?借金?まっさか、そんな訳ないさぁw」

さすがに父もおかしいと気づいた。
知人も変だと思ったようで、◎◎建設に連絡して電気溶接機の件を聞いてみると言ってくれた。

そしてすぐに、返事が来た。

知人「あれは盗品だよ!盗まれたそうだ!警察にも連絡したってさ!」

そこからが慌ただしかった。
父が通報すると、その日の午後には管轄の警察署から、事情を聞く為に刑事さんがやって来た。

事務所の玄関に颯爽と現れたのはスーツ姿の40代後半とおぼしき柔和な顔立ちのオジサンと、180cm超えの長身にパンチパーマ(と言うか昔流行った健太郎カットみたいな?)鋭い眼光に細い鼻筋、革ジャンに細身のジーンズ、足元はブーツ、ちょっとぶっきらぼうな挨拶の仕方なんかもう、もう、もう!

石※プロの方ですかあ!!!???

革ジャンの襟立てて、下にはグレーのタートルネックシャツって、
どうよ!どうよ!

刑事コスプレかよっ!

って言うぐらいの、コテコテな刑事さんが立っていたのだよ!

そのいでたちからすると、
覆面パトカーの助手席に箱乗りしてライフルぶっ放したりすると似合う・・・♡♡(妄想)

いやいやいやいや、
今回は、西部警察に出て来るような凶悪事件じゃございません。
ちいさい機械の盗難です(キッパリ)

その石※プロの、ちがう、某警察署の刑事さんは、
我が社の狭い応接間に置かれた古くて小さいソファに長身を縮めるように座り、調書を手書きで作成し始めた。
※昭和の出来事ですから、手書きです。

質問する40代スーツのオジサンは静かで柔和で、
時折ジョークを交えながら、私と父にあれこれと聞いてきた。そして、

(パラッ)「この男に、見覚えありますか?」

と、めくられた書類に貼った、2人の男の写真を見て、私と父は

「あー!」と叫んだ。

口のうまい年長の男が、むっつりとした顔で写っていた。

父「この男です!間違いない!借金のかたにって、言ってました」

父はコーフン気味にまくしたてたのち、隣の写真を見て、

父「あれ?こっちの子は・・・こんな顔だっけ?」

と、困った顔になった。

私も写真を見たが、暗闇でおどおどしていた若者の怯えた目は覚えているけれど、四角い印画紙に収まったうつろな目は、似ているようで別人の様にも思え・・・

40代オジサン(言い方)の話では、彼らは窃盗の常習犯だそう。
足取りは大体つかめているとの事で、追跡はもう始まっているとの事。
(脳内に西部警察のOPテーマが流れ始めた♪ ヘリで逃亡する車を追いかけ、ライフルを撃ち込むサングラス姿の渡哲也がまぶたに浮かんだ)

何ページにも及ぶ調書を書き終えた石※革ジャン刑事(まぜるな危険)は、腰を痛そうに伸ばしながら立ち上がり、40代スーツのオジサンと共に署に戻って行った。
気づけば外は真っ暗になっていた。



月日は流れ、
刑事さん登場のテンションがすっかり下がった頃、職場の電話が鳴った。

「ご無沙汰しております。△◇警察署の▲□です」

うわーっ!!革ジャンデカだ!!(呼び方w)

私「もっもしもし!おっお世話になっておりますっ!」

革「例の窃盗事件ですが、容疑者逮捕となり事件は解決いたしました。社長さんと専務さんのご協力なくして解決には至りませんでした。ありがとうございました。また改めてご挨拶に伺いますので、よろしくお伝えください」

私「え!あ!そ!それは!お、おめでとうございますっ!」
革「ありがとうございます~」

その数日後、
革ジャンデカは、可愛らしい包み紙の菓子折持参でご挨拶に再びお見えになった。
厳しい目つきの人だと思ったが、よく見れば穏やかな眼差し。そうだな、芸能人に例えると、吉川晃司さんかしらね。(さー皆さん、目を閉じて。短髪の吉川晃司さんにグレーのタートルネックシャツ、革ジャン(襟立て)にブラックジーンズ、つま先のとがったブーツを履いてるところを想像してみましょう!←それが革ジャンデカ!)
今はもう、すっかりお爺さんになられただろうなあ←想像させておいて落とすw

その後、
父は捜査に協力したと言う事で感謝状が贈られた。
それは今も額に入れて飾ってある。

父は友人知人が来訪すると、その感謝状を指さしながら、どや顔で「武勇伝」を語って聞かせていた。
そのたび、私はムッとしていた。
そもそも私があの会社のステッカーに気づいたから事件解決に繋がったってのに、感謝状の名前は父だけだ。
納得いかん!なんでじゃ!!
だがそれも、今となっては遠い日の思い出ばなしだ。
過ぎてしまえば、スリルとワクワクで、平凡だった日常が大分彩られた。
不謹慎かつ失礼ながら、面白い出来事だった。

あの日帰り旅行で訪れた渓谷は、
今も紅葉の穴場になっているが、私達が訪れた頃とは大分景色が変わっているらしい。
37年前に撮影した写真とネガは、押し入れにしまい込んだ後、どこかに紛失した。多分棄てちゃったんだろうなあ。

また見に行きたいな。
今度はデジタル一眼レフを持って。
亡き伯父と父の思い出と一緒に。

某警察署から送られた感謝状