かじかのつぶやき

絵を描き 写真を撮り 本を読み 猫と遊ぶ ときどきお仕事な日々。。。

うたた寝、その後…

首を寝違えた私、8月後半はもう、大変だった。

とにかく、頭が痛いのよ(涙目)。
頭蓋骨の表面を走る神経みたいなの?それがビシビシと痛い。
起きてると痛くないんだけど、寝て数時間経つと痛くなる。
多分、枕が合ってないのかもしれんけど、じゃー枕買おう、ってなっても、買いに行く気力が無かった。

なので、首の辺りを少し上げれば良いかなと思い、フェイスタオルを4枚重ねて丸めて、首の部分に置いて眠る事にした。
そしたらそれが結構効果があって、一晩に3回目覚めるのが1回になり、気がつけば朝までぐっすり・・・起きても痛くない、に変わった。
タオル効果と言うより、寝違えの自然治癒だと思うけど。
今回、温めて揉むのがいかにダメな行為か、身にしみた。

寝違えは、冷やす!
そして、揉まずに安静よ皆様!

あれから全くもって、頭痛も首のコリも、無い。
見事なくらいに、消えてしまった。
一番悪化していた時は、夜中に痛くて目が覚め、情けなくて泣いた。
更に情けない事に、父に助けを求めた。

「お父さん!おとうさーん・・・助けて・・・痛いよぉ・・・」

私は幼い頃の自分に戻っていた。

肩車をしてもらった事や、
大事なカメラを持ち出して落として凹ませた事や、
爬虫類展など一緒に見に行った事など、
真夜中に思い出して、泣いた。なぜだか知らんけど。

幽霊でもいいから、出て来て!会いたい!と思った。
会ってどーすんだよって話なんだが、そういうのは考えてないw

でも、父は現れなかった。
薄暗い部屋の布団の上で、一人涙を流した。
やがて痛みが薄らいで来て、そのまま横たわって眠ってしまった。

当時、加とさんは隣に寝ていなかった。
黒猫・Q太を寝室に隔離して添い寝していたので、私はコタロウとモモを寝室から連れ出し、妹が使っていた部屋で一緒に寝ていたのだ。


一人で泣いている私を見て、コタロウも起きて私を見ていたっけ。
モモは「うるさいなぁ」と言う顔で、1階に下りて行ってしまった。

そんな夜もあったなー・・・と、ほぼ完治した今は遠い日の様に思い出す。
(1ヶ月前の話なのに)

でも枕は大事だね。
今使ってるのは、整体枕というヤツなんだが、何年も使ってるからヘタって来てるのは確か。
首と頭がキチンと支えられる形のを色々調べて買おう。



話は変わるが、私、天中殺らしい。
去年と今年。
一昨年、知人が算命占星学を勉強されていて、星回りを割り出してもらった。
その際「来年再来年は天中殺ですね」と言われたのをすっかり忘れていた。
天中殺は12年に2年間巡ってくる。
前回は2009年。そうだ、その年、持病の潰瘍性大腸炎が悪化したんだっけ。
そしてその年は色々と大変な事が多かったな(遠い目)。
愛犬シータも亡くした。(その10日後にメイを保護したけど)

で、このコロナ騒動に合わせて天中殺とは(笑)

そう言えば、去年も色々あったけど、今年も大変だった。
2月に父が急逝し、喪主をつとめた私は相続手続きやら何やらで夏前まで慌ただしく、数年前からずっと考えていた退職を決めて退職願を出したけれど、職場の引き継ぎが全く進まず、結局まだ勤務は続く・・・更に、母が圧迫骨折、新盆迎え火の前日に緊急入院で、新盆のやる事一切合切を引き受け、家事と猫の世話も引き受け、そうこうしてるうちに勤務先では株主総会で、父の株を引き継いだ私は株主の一人、ああ私はまだ辞められんのー・・・から、謎の腹痛→やがて治る→そして寝違え→悪化→痛くて悶絶、
更に、黒猫Q太の保護が進展、外猫から夜は家猫に昇格(加とさん添い寝)私は先住猫のケアですよ・・・からの~~~

天、中、殺 !!!(´д`)

でもね、来年が楽しみよ。2月4日に明けるから。
考えてみたら天中殺真っ只中に30年以上勤めた会社におさらばしても、その後がイマイチだったかもしれん。
残ってもらいたいと言われたので、引き継ぎが完全に軌道に乗るまでは(多分年明け)残る方が良いかもしれない・・・ああー。

皆さんも自分の天中殺をお調べあれ↓↓
「自分の命式を知る」という部分をクリックして、性別・生年月日を記入します。

sanmei-stock.com

あんまりとらわれすぎて日々の楽しみが薄れてしまう様ではいけないと思います。

色々と行動が制限される今日この頃、
前向きな気持ちは大事。
免疫力を上げ上げ↑↑で、楽しい事考えつつ、過ごせたら良いね♪

うたた寝に気をつけろ!

首を寝違えてしまった。。。

これが結構、つらい。
しかも、つらくなるような事をたくさんやっちまったので。

事の起こりは先々週。
母の入院で仕事に家事に猫の世話にと、普段の7割増しであれこれあくせくしていた私。

日々コテンパンに疲れていた。

夕飯の後、洗い物や炊飯器のタイマーセットも済んで、やっと一段落。
録画した番組でも消化しようかと思って、テレビを点けた。
録画してあったのは、

www.nhk.or.jp
妹が大嫌いな「カミキリ虫」の特集だった。
我が家方面には黒くてギーギーわめくミヤマカミキリってのが多いけど、
妹は小さい頃からアレを「キィキィ虫」と言って異常に嫌う。
私などは足が6本の虫など手づかみOKなので、よく捕まえては妹に「ほれほれ」と持って行く、ほんと意地の悪い姉だった。
(その代わり妹は、私の大嫌いなクモがヘーキなんだよ(;´Д`)コワイ・・・)

それは置いといて、
番組を再生し始めて数分で眠くなった。
カミキリ虫を観たかったんだけど、眠気の方が勝ってしまい、そのまま横になって眠ってしまった。。。

 

スヤァ・・・・zzz



30分番組はとうに終わり、気がつけば1時間以上寝てしまい、目が覚めた私は飛び起きた。

「・・・アタタタタタタ・・・」ケンシロウではない。

左を下にして寝ていて、ガバッと飛び起きた瞬間、ズキンと頭痛がした。
首も痛い。

もしかして、寝違えた?

あー・・・(;´Д`)>

私は頭を右・左と曲げたり回したりしながら肩を揉み、そのまま風呂へ直行。
首まで浸かって暖めて、その後はすぐ眠りについた。

翌朝。
・・・痛い(>。<)

後頭部と首と肩がどうにも変。
うーん。血行悪いのかな。左肩と首を揉む。

翌々日、都内に出たついでにマッサージ店に寄って肩を首を揉んでもらったらとても肩が軽くなった。これで治るかな。

・・・治らない!!
寝てから頭痛と首の痛みで目が覚めるようになった。
ズキズキズキズキ・・・首から後頭部、頭のてっぺんに「痛みの線」があるような感じ。


頭を抱えて悶絶しているうちに、なんとなく既視感がある気がしてきた。

待てよ。

私・・・昔、こういうの、やらかした事あるよね。

午前2時半のズキズキに目覚め、ため息と半べそで思い出したこの痛み・・・


遡る事31年前。平成2年の夏。
私は、熱帯夜に寝付かれず、布団の上でグダグダゴロゴロを繰り返し、寝返りを打った拍子に頸椎を痛めた事があった。

翌日から首と肩がぎゅうぎゅうに痛くて、某接骨院を受診、院長先生に、
「あー、こりゃ頸椎ねんざだねえ。2ヶ月くらい通ってね」
と言われたのを思い出した。

そして私は、神経痛のおっちゃんおばちゃんに混じって2ヶ月、電気治療とマッサージを繰り返したんだっけ。

しかもその3年後、平成5年にまたやらかしてる。

当時、犬を2頭飼っていて、毎日私が散歩をさせてた。
林道の下り坂を、オス犬2頭が勢いよく駆け下りる。私も一緒に駆け下りた。
が、1頭が突然Uターンした。
えっ?・・・と思う間にリードが私の足に絡まり、そのまま左肩を下に、地面に突っ込むようにして転倒した。

そしてその時も頸椎ねんざ、全治2ヶ月」と言われちまったぜ。



歴史は繰り返す。



28年も経ってかよ!

そして私は、再び接骨院で治療が始まった←違う接骨院だけどね。

治療法も大分新しくなってるし、今回はごく普通の「寝違え」でしたよ。

院長先生に、これまで2回、首をやらかしてる経緯(↑↑参照)を話したら、過去にそういう経験があると、寝違え易いかもしれないですねえ、との事。

私「うたた寝は禁物ですね。肝に銘じないと・・・」
院「ですねえ。でも、やっちゃいますよねえ(笑)テレビ観てたりするとw」
私「でーすーよーねーーーー」

寝違えた事で、今回色々ネットで調べたら、

温めたり、揉んだりするのはNG!
冷やして、安静にするのがベスト。
首の寝違えは、首の筋肉の「肉離れ」。


知らんかった(;゚ロ゚)

思いっきり揉んで温めてたんですけど(^◇^;)

悪化させてしまった分、治るのに時間はかかりそうだけど、日一日と薄皮をはぐように改善してきてる。身体ってのは自分で「治ろう」ってするのね。

皆様もどうぞ、うたた寝にお気をつけあそばせ。

寝違えは肉離れですからね!

月日はめぐる

2021年も半年終わってしまいますな。

多分、ここ10年で一番忙しかった&衝撃だった6ヶ月だった。

あんなに元気で、圧倒的存在感を放つ人だった父が、地上任務を終えて天に還ったのが2月の事。
それからずっと、父の不在感・喪失感を胸に抱えつつも、やらねばならない事が山積する我が半径5mの世界を汗だくで駆けずり回る日々だった。

父亡き後すぐに我が家に現れた黒猫・ココ。
彼女の世話で手足を血だらけにしながら(なんせ若いし元気良いし気が強いのさ)先住猫のご機嫌も取り、今や縁側の隅っこで昼寝をしに通って来るようになった事に安堵したり不安を覚えたり。

半年終わってやっと一段落かと思いきや、
我が家地方は7月がお盆なので、

 

うち、新盆じゃんか!!←おせーよ


卒塔婆とか頼んでお寺のお施餓鬼に参列して・・・とか、
まだまだやる事は無くならないのな。ほえー。

さて、
世の中は例の感染症で混乱したまんま1年以上経過した。
私は、呼吸器疾患に苦しむ父の事があったので、
感染したらどうしよう!と、毎日が恐怖で仕方なかった。

「感染したら、もうアウト。助かりませんよ」
と、かつて主治医だった医師は断言した。

もし私が感染し、父にうつしたら、私が父を死に追いやった事になる。
それだけは避けたい。なんとしても、避けたい。

そう思いながら生きていた、2020年の3月。
SNS上でフォローしている人の投稿が私の目を釘付けにした。

「コロナはただの風邪。罹っても必ず治る。大した事じゃない」

そ、そうなの!?(゚ロ゚屮)屮
だってこんなに人々は恐怖におののいているのに?

そこから色々調べ始めた。
そして解った事はいくつもあった。
その一つが、

テレビを信じちゃダメ。

毎日テレビで流される感染者数がどれほど恐怖を煽ることか。
そして、流される情報が100%真実だとは思っちゃダメ。
真実ってのは、自分で掘り起こさないと到達出来ない。
今回、それに気づいた。

今はウィルス恐怖を煽っておいて、
今度は『お注射』へと走るように人の心を誘導している。

接種はどうしてもしたいならすればヨロシ。
私はしません。

読んで面白かった本がこちら。 

 ゴーマニズム宣言小林よしのり氏(よしりん)と京都大学の宮沢孝幸准教授の対談集なんだけど、読みやすく学びやすい。
宮沢先生は当初からこの感染症について「キチンと知って正しく怖がる事」を提唱して来られたけれど、誹謗中傷に遭い、何度も悔しい思いをされていらっしゃる。
よしりんの他の著作↓↓↓  

  こちらもなかなか面白いです。パート3まで発売中☆

それと片岡ジョージさんの4コマ漫画もオススメ。 

 

 

 

 

 

何だかんだ言っても、
五輪まであとわずか。
それが済めば、今のお注射論争も区切りになるんじゃないかな。
楽観的すぎるのかもだけど。


恵比寿の絵画教室が再開し、
私も再び色鉛筆画のご指導にあたる事となった。
まだまだ完全再開と言うには厳しいご時世だけど、
呼んでもらえるのは有り難い事。
いつかまた、自分の絵を描く時間を持ちたいと思う。
教える側じゃなく、学ぶ側にも居たいと思う。

学ぶのは、絵ばかりじゃない。
最近、本をちっとも読めてないから、もっと読もう。
世の中、知らない事が多すぎる。
知るべき事が知らされていない気がする。
それは日本人一人ひとりがそうなんだろうな。

あの感染症の真実だって、一体何人の人が解っているのやら。
私だって、まだまだ解ってない事ばかりだ。
知る為には、何が出来るか。
学ばねば・・・

明日から7月だ。
もう半年。まだ半年。
どっちにしても、
私はダラダラ過ごしすぎた。
学べていないし、解りきれないところもある。
頑張るしかないのよね。

 

頑張ろうアタシ!

おいでよ動物の森(どこかで聞いたような・・・)

先週の事。
朝、職場でお湯を沸かすために流しでやかんに水を入れようとしたら、
なんとそこに、ヤモリが!

人生初!生ヤモリ!

私「うおおおお(;゚ロ゚)」
(写真撮っておけばよかった)

自然に埋もれた様な山里生まれなので、もちろんヤモリもイモリもカエルも平気。
そう言えば、昔、イモリ飼ってたわ私。

流しの隅でじっと動かないヤモリ君。
大分消耗されてるご様子。流しがツルツル滑って上がれなかったんだろうな。
以前、都内在住の絵画教室のお仲間(90代)が、
「ヤモリは多いわよぉ。夜になると家の壁に沢山張り付いているわ」
とおっしゃっていた事があり、ヤモリは都会の子だと思ってたんだが。

そこで思い出した。
前日、とても暑くて、エアコン入れようかと思いつつ、
(いやまだ5月だし。5月から冷房使ってたら8月の猛暑(多分)は乗り切れん)
と、よくわからない理屈でエアコンには触らず、代わりに窓を全部開けて仕事をしていた。

事務所の北側の窓はあまり開ける事は無いので、久々に開け放つとなんだか気持ちが良い。
そのまましばらく仕事をしていたけど、キイロスズメバチが室内に入ってきてしまったので、慌てて窓を端から閉め、スズメバチが外に出たところですべて施錠。
やれやれだったのよー。

その時に、おそらく北側の窓から入って来て、気づかれぬまま翌朝まで軟禁状態だったのね。
ごめんね。気づかなくて。

私はそっと、両手でヤモリを包み込み、そのまま事務所の外に出て、裏手の石垣近くで手を開けた。(素手で触っちゃったけど大丈夫だったのかな)
すると、素早く石垣に飛びつき、そのまま真夏のトカゲの様に、ちょろちょろと逃げていった。

大きなスズメバチが、モーター音の様な羽音で頭上を飛び去って行く。
昨日の黄色い子ではない。今年はハチが多いのかな・・・

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父の死後、
我が家でご飯を食べる様になった黒猫さん。
その経緯についてはコチラ。
名前はココになった。

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ココです。

我が家で代々飼われた猫は、コタロウで8匹目になる。
黒猫さんが我が家の子になれたら、9匹目。
雄だったらQ太郎とか考えてたけど、どうやら鳴き声とか顔の感じから雌っぽい。
長毛ゆえ、性別の「おしるし」がよく見えないだけどね。

で、
女の子じゃQ太郎ってのもアレだから(キンタロー。って女性芸人はおるけどな)

9=ここのつ=ココ。

と言う訳で、ココに決定。

が、早速定着しそうもない気がしてきた・・・
名前が決まらないうちは「黒ちゃん」とか言ってたものだから、母は、
「コロちゃん」(クロとココが混じってる)と犬っぽく呼んでる。
「ココ」より「コロ」の方が、発音しやすい。
カ行って、滑舌を試されるのね・・・

当の黒猫さんは、自分に名前が付いた事など知ったこっちゃないんだろうけど、
「コロちゃーん」とか母が呼ぶと、2m手前まで寄ってくるようになった。
2m→ソーサルデスタンスって事すかね?

私が帰宅し、世の中がバブリーだった頃に父が建てた離れに行って、餌のお皿にカリカリを開ける音を聞くと、庭を走って横切り、離れの前の植え込みでジッと待っている。
コタロウの時は、ニャーニャー鳴いて私の1m前を歩いて離れまで来たもんだった。
それを考えると、まだまだ警戒という名のハードルは高いのね。

もっとも、警戒心が強いのは仕方ないんだと解った。
近所の畑に、カラスのワナを仕掛けた人がいた。
ある日、ワナを見に行くと、黒い生き物がワナにかかっている。
カラスだと思って近づいたら、黒猫だった、と言う訳。
黒猫はワナから放され、一目散に逃げていったそうな。
怖かっただろうねえ・・・
私はワナなんか絶対かけないから安心して欲しい。
ゴキブリホイホイだって買わないんだぞ←そっちかい)

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庭の石組の上に座るココ。

去年の、まだ夏の名残が残る9月頃にこの子を見た時は、
ツヤツヤの黒い長毛がとてもきれいだった。
2月に父が亡くなり、遺影に「黒猫ちゃんを守って」と語りかけた後で裏庭に姿を現したココは、赤茶けてひどく汚れた毛で目つきも鋭くなっていた。
飢えと寒さをどうやってしのいだのか、やっとの思いで生き延びたんだろうね。

その後は我が家の裏庭や離れで毎日ご飯を食べて行く。
痩せていた身体もふっくらしてきた。
荒んだ顔立ちも、猫らしい愛らしさが戻って来た。
赤茶けた毛は元に戻らないけれど、汚れが目立たなくなり、毛にツヤが出てきた。

捕獲器を置いて一刻も早く確保する事も大事だなとは思ってはいるんだけど、
一昨年、コタロウを徐々に慣らしていき、先住猫たちとも顔見知りになって同居出来るまで時間を置いたのと同様に、自然に居着いてくれるよう見守りたいと考えているので、もうしばらく様子を見たい。
なにせ、ワナにかかった恐怖体験があるので、同じ恐怖は二度と嫌だろうから。

 

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30年以上前、職場で三毛猫を保護し、家に連れ帰った事があった。
当時、家には茶トラの若い雄猫・タマ吉が居て、三毛猫を抱いた私を見ると、猛烈に唸り、三毛猫に襲いかかろうとした。
咄嗟に、タマ吉の行く手を遮ろうと手を出したら、その手に思い切り噛みつかれた。
猫の牙が右手親指付け根に深々と刺さり、土間に血が滴り落ちた。
タマ吉はうなり声を上げながら庭に飛び出し、翌朝まで帰ってこなかった。

噛まれた傷は深く、翌日には紫色に腫れて鈍痛が続いたので、外科を受診して数針縫い、抗生剤を処方してもらった。

私は三毛猫を飼う事をあきらめ、仕事仲間である隣市の造園業者さんに三毛猫を預けた。そのお宅にも猫が居たんだけど、少し前に家の前の車道で事故に遭い、亡くなっていた。
猫好きの優しい業者さんの自宅に伺い、シャーシャー威嚇する三毛猫を置いて帰って来た。里親を引き受けてくれた業者さんには感謝しかない。

あの時の苦い思いがあるので、猫が増える時は本当に気を遣った。
ふう太が8歳の時に職場の玄関で保護したメイ。
半年後、捨てられて家に迷い込んだモモ。
3匹はさほど仲良しでもないが、とりあえず同じ屋根の下で暮らす事にはイヤイヤ同意した。
やがてふう太が旅立ち、同い年のメイモモはそこそこ仲良く暮らしていたが、
そこに現れたのが、大きな雄猫のコタロウ。
ワイルドだったふう太に比べ、おとなしくて気が弱いけれど、図体が大きいのでモモはあからさまに嫌い、ハンガーストライキを決行する。
こりゃ同居は無理か・・・
コタロウは里親募集を出そうかと思ったけれど、ある日突然、モモはコタロウを受け入れ、並んでご飯を食べる様になった。

今ではすっかり慣れて、夜は私の布団の上で2匹で並んで寝ている。
「川の字」ならぬ「小の字」、もしくは「%」や「÷」の記号風に寝ている3体w

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離れの近くを歩くココを見つめる、コタロウ(左)とモモ。

仲良く並んで外を見ているコタロウとモモ。

ふう太とメイは割と早く打ち解けて鼻をツンツン合わせる挨拶をしていたが、ふう太とモモは、こんなに仲良く出来なかった。
ここまで近づくと、ケンカになって大騒ぎだった。
なので、モモが雄猫(弟分)とこの距離でまったりしているのを見ると胸アツ。



メイは猫喘息があって、母の部屋で1人で過ごす事が増えた。

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ご機嫌な時はうちで一番大きな声でニャーニャー騒いでる。
朝なんか、5時にベランダでニャーオニャーオと鳴いててニワトリか!

コタロウは大きいので苦手だけど、ケンカはしない。
コタロウも、おばあさんになりつつあるメイを静かに見守ってる。
先日、久しぶりに庭に出たメイ、ココと至近距離でばったり。
か細い声でニャゴニャゴ鳴くココを、メイは黙って見つめてた。
案外仲良く出来るかな?



ココは、みんなに受け入れてもらえるんだろうか。
メイ、モモ、コタロウ、ココの4匹で、仲良く日向ぼっこが出来るだろうか。

茶の間でまったり昼寝をする4匹が見られるように、
今は時間をかけて猫たちの心を解きほぐしていきたい。

そんなこんなで、
日々、動物に振り回される日々な私です。。。

再起動!

ここ半月ほどなんですが、
PCがいきなり「再起動します」って青画面に代わり、完了まで○○%云々て表示が出るようになりました。
ノートPCの寿命は5年とか、どこかのサイトで見ましたが、
我が社のデルさんは7歳。
もう、ご長寿エリア内でしょうか。
なので、デルさんのご実家に新しい子が来るよう、手配をお願いしました…



いや、今日はそんな話じゃないのです。

私自身の、話です。


父が亡くなって2ヶ月経過しました。
相続手続きも、ほぼ順調に進んでいます。
自分1人では出来ませんでしたが、某金融機関様が、それはそれは手厚いサポートをして下さったおかげで、私自身は戸籍謄本やら住民票等を取り、書類に署名捺印をしただけで、あちこち出かけて申請する事は殆どありませんでした。
農○さん、ありがとおおお!!!

一段落すると、自分の事を考える余裕、というかヒマが出来ます。

絵画教室はコロナ騒動のおかげでストップしたまま。
教える立場としては、生徒さんに無理強いも出来ません。
そもそも、某カルチャー自体が自粛状態ですしね。

なので、もう一度「学ぶ側」に戻ろうかなと思いました。

私の師匠とは、時折メールを交換していましたが、先日その旨をちょこっとお伝えしたところ、大変喜んでくれました。

教える側復帰を。←え?

Σ( ̄□ ̄;) えっ?

「えっと・・・私・・・教える側・・・なんですね?」

「そうよ。生徒さん、早速1名申込みがあったのよ!あなたが戻って来てくれて嬉しいわ!!」

((((;゜Д゜)))))))マジか!!

という訳で、
今まで火曜日のお教室でしたが、今度は第2金曜日に色鉛筆画教室が開講します。

今月は、ちょうどその日が相続手続きの日になっている為、出来ませんが。

師匠、すごいな。パッと決めてしまうとは(笑)

私自身の「学び」は別の週に。

 




先日、久しぶりにミヤコに出て、絵のお師匠と再会しました。
変わらないなぁ。相変わらずお喋りが大好き。

そこで師匠に指摘された事がありました。

「あなたは、長女、というより、長男ね」

え・・・?

「あなたって、お父様と一緒にお仕事をしていたからなんでしょうね、すごく男っぽいところがあるわ。感情を持ち込まない。何があっても常にフラット。そして大変な事があっても、そこで落ち込んだりワーワー騒がずに黙々とやり遂げてしまう。
女性は、みんながそうじゃないけど、大変な事があると『ああもうダメ』とか『もう無理』とか泣き言を言っちゃうけどね、あなたは言いそうもないわ。むしろそういう人の分まで引き受けてバーッとやっちゃうタイプでしょう?」



うーん。
確かに、父は「俺にまかせとけ!」と、困難の矢面に自ら立つ人でした。
私はそこまで強くないし、出来れば誰かに頼りたい。
でも、頼れる状況じゃない事も多くて、やっぱり自分でやるしかない!…と、孤軍奮闘して突き進む事は多いかもしれない。

 

”思い立ったが吉日、前後左右未確認!直進爆走型”

これは、私と父の共通点。

となれば、師匠の言う事は、半分くらい当たっているのかも・・・

師匠の話は続きます。


「でね、そういうタイプは、教える人に向いているのよ。自分を抑えて、他人の為に頑張るのが先生の立場ね。あなたは、教える側の人なのよ」

 

。。。。(゜Д゜)マジデ?


まだまだ師匠の話は続く!

「で、あなたの絵だけどね、描くべきものを選びなさい。
いつだったかしら、あなた、指輪の新聞広告の絵を描いたでしょ?
あの外人さんの絵は良かったわ!日本人じゃなく、外国人の人物画、
あなたは得意なはずよ!もっと沢山描いてごらんなさい!
犬猫の絵も良いけれどね、世の中には犬猫の絵を描く人は沢山いる。
それより、彫りの深い人物画の方があなたの個性になるわ。
柔らかいフワフワしたものじゃなく、硬くてしっかりした存在感のあるモチーフを選びなさい。あなたは、そういうものの方が向いているわ」

 

猫の絵、ダメっすか(;゜ロ゜)

そう言えば、思い出したんです。
20代の頃、私はハリウッド女優や洋楽の女性アーティストの絵を色鉛筆で描いていた事がありました。
イングリッド・バーグマンとか描いたなぁ。
洋楽アーティストでは、DreamAcademyのケイト・セント・ジョン、HEARTのナンシー・ウィルソンなどなど・・・あの絵はどこ行っちゃったかな?

師匠にそれを見せた事は無かったのに。
お見通しだったか・・・

そう、私は人物画の方が好き。
日本人より西洋人の顔を描くのが好き。
今更ながら、思い知ったわ。

指輪の新聞広告の絵、と言うのは、
もうずいぶん前に、公募展に出品した作品のモチーフでした。
新聞の全面広告を壁に貼り、その前のテーブルに静物を並べて絵にしたのです。

今見ると、色々アラばかりで、おはずかしい・・・

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第32回蒼樹展出品作『輝きは時を超えて』

そうか。
人物画か・・・
硬くてシッカリした、バケツやガラスの器描いてたな(笑)

うむ。

やっぱり、描くとしたら「好きなもの」だよな。
生徒さんに散々教えている割に、自分はそれが出来ていなかった。

好きなものを描く、って言う部分を、これからはもっと大事にします。

原点に立ち返り、

PCと同じく、再起動です。

手始めに、ミヤコの書店で「VOGUE」と「SCREEN」を買いました(笑)
練習しないとです。

ガンバレあたし!!

そばにいるよね

父が旅立ち、葬儀も終わり、

いつもの静かな日々が戻って来・・・・

てません!!!!

【遺族あるある・その1】
~故人の遺品整理が想像以上に大変。

父は整理整頓が絶望的に不得意でした。
とにかく、ガラクタと重要書類が混在している、タンスや机の引き出しを整理するのは、なかなか気が遠くなる作業ですよ、ええ!

家族が亡くなると、不動産の名義変更、預金口座の停止、公共料金の引き落とし口座変更、年金関係、健康保険の手続きなどなど、相続に係る様々な手続きが必要になります。
先日、父の企業年金の証書が必要になり、家捜しを決行。

母「あるとしたら、金庫だと思うんだけど」

私「じゃあ、金庫を開けてみないと。鍵は?」
母「それがどこにあるんだか・・・」

まずは、金庫の鍵探しかいっ!!!(;´Д`)

母は、おそらくココじゃないかと思った、タンスの引き出しを抜き、
遺影が飾られた祭壇の前にドン!と置き、

「お父さん!この中に金庫の鍵、あるの!?」と言うと、
引き出しに手を突っ込みました。



すると・・・

雑多な書類や手紙などが詰め込まれた引出しの中で、
母の手に触れた小さな硬いモノがありました。

手を引き出しから上げると・・・

それは、鍵と、ダイヤルキーの説明書きが入ったビニール袋でした!

「なんと!!!(゜ロ゜屮)屮」

半日かかりそうな気がした金庫の鍵が、5分とかからずに見つかりました!!!

私達はその鍵を使い、滅多に開けた事がない金庫を、カチャリ、と開けました。




一同「・・・・え?(゜o゜;)」


中に入っていたのは、
祖父母の印鑑と、
古びてボロボロの古銭でした。


なんじゃこりゃあああ!!(byGパン刑事)


結局、
年金証書はお菓子屋さんの手提げ袋の中に、無造作に突っ込まれたファイルの中から見つかりました。

あ、古銭と一緒に、
1964年の東京五輪記念コインがいくつか出て来ました。
今年の東京五輪も・・・今となっては、やらん方が良い気がしますが。

そうやって、
父の部屋をガタガタと家捜ししている間ずっと、
遺影の父はニヤニヤしていました。

私がこの写真を撮った当時の父は、確かに仏頂面だったのに、
遺影になったら「へっへへー」と笑っている様に見えるのです。

大汗かいて大事なモノとそうでなさそうなモノを仕分けする私達を面白がっているかのようで、母は、

「笑い事じゃないんだから!」と、ニヤニヤする父に怒ってました(笑)

ゴミ袋5個分のガラクタ類を集め、
今後必要になりそうな書類は引き出しに収め、
家捜し第一弾は終了。

次回は、四十九日忌後、体力気力が満ちて、天気の良い休日。
(大分先になりそうだ)

仏教では、
人の魂は四十九日間、その家の軒先にとどまるとか言われます。
そう言えば、まだ居なくなったって感覚が薄い。
何か、家のどこかに居そうな気がしてる。

となれば、

父はまだ、
そばにいるよね。

空耳かも知れないけれど、
時々、父の咳払いが聞こえた様に思う事があります。
そんな時は(あ、いるな・・・)と思います。


そろそろ旅立って4週間ですが、
父は一向に夢に出て来ません。
母も加とさんも同じことを言います。
全然、夢に出て来ないのです。

結婚して別の場所で暮らしている妹の夢にはしょっちゅう出て来るようで、
茶の間に座る父が妹に「お茶煎れてくれ」と頼むんだそうです。

妹は「あれ?お父さん生きてるの?・・・ま、いっか・・・」と不思議な気持ちでお茶を煎れるそうです。

そんなリアルな夢、まだ見てないぞ私ら!!

母が言うには
「○○(妹)の将来をとても心配してたからじゃない?」とな。

じゃあ、私達の事は安心してるのかな。
まー、それならそれで良いけどな。


父は私財を仕事や趣味に投げうってしまったので、
預貯金などは笑っちゃうほど少ない額を残しました。

私が相続したものなんて、
あえて言うなら、

口が悪いDNAぐらいですぜ。

それも人生。
やり残した事も多かろうと思いますが、
まずは燃焼し尽くしたんじゃないかな。

だからニヤニヤしてるんじゃないかと。

まぁ、四十九日が過ぎたら、
おとなしく極楽浄土に渡ってホトケサマに昇格していただきたい。
♪酒はうまいしネーチャンはキレイ♪…らしいので、楽しくあの世ライフを満喫してくれ。

何十年かしたら、
様子を見に行くから。

おやすみなさい

父が旅立ちました。


よりによって、
前回の記事を書いた翌日に。
2月5日現在、父は健在だと書いた翌日に逝くなんて、

反則です。

あの記事を書いたのが虫の知らせのようで、
書かなければよかったと、後悔しきり。



ブログを書いた日の夜、

父はいつもと変わらずに夕食をとりました。
いつもなら夕食後はさっさと寝てしまうのですが、その日に限って口腔ケアをしてから寝る準備をしました。

ベッドに横たわると、世話をする母に、
「おやすみなさい」と父は言いました。
普段、お礼や挨拶なんて言わない、ぶっきらぼうな父が、初めて母におやすみを言ったもんだから、母は思わず、
「え?何か言った?」と聞き直しました。父はいつもと変わらずぶっきらぼうに、

「お休みなさいって言ったんだよ!」と言いました。


母は驚き「そりゃそりゃ、おやすみなさいよ。良い夢見なさいまし」と声をかけ、寝室のドアを閉めました。

 

結局それが、
母への最後の言葉となりました。


その後、
夜も更けてから再び起き上がった父は呼び出しチャイムを鳴らし、やって来た加とさんにしばらく背中をさすってもらった後、
「部屋が暖かいから、エアコンは切るよ。また寒くなったら点けよう」と言って、エアコンのリモコンを手に持って横になりました。
「いつもすまないね」

加とさんにかけた言葉が、父の生前最後の一言になりました。





明けて6日早朝。
前夜の様子が、どうも気になって仕方なかった加とさんが寝室を覗いてみると、
そこにはエアコンのリモコンを手に持った状態で、ベッドに倒れ込んだ父が。


身体はまだ温かく、熟睡している時の顔のままでした。

「お父さん!お父さん!お父さん!!おとうさーん!!!」
家族が叫んで顔をペチペチ叩き、肩をゆすっても、ピクリとも動かない。
ちょっと口を開けて、クークー寝ている時と変わらない。
でも寝息は聞こえない。どんなに叫んでも、目を開けてくれない。




行きつけの病院で死亡確認されたのは午前9時ちょうど。
通院の時にいつもお世話になった看護師さんが父の身体をきれいにして下さいました。
15年の長きにわたり、父に寄り添ってくれた人達です。涙ぐんでお悔やみの言葉をかけて下さいました。


ああ。
もう、起き上がらないのね。
私を怒る声は、もう聞けないのね。
少し開いていた口は閉じられ、瞑った目は永遠に開く事はない。
つい昨日。
昨日まで、
散々文句を言い合っていたのに。
感謝の言葉ぐらい言っても良いもんじゃねーの?と、
突っかかったのは、ほんの3日前なのに。
聞こえないふりをして、そっぽを向いていた父。
もう、文句もありがとうも言わない、言い合えない。

その現実は私にとって耐えがたく、
突然幕を下ろした父の人生の最後の瞬間を、きちんと看取れなかった後悔やら、酷い事を言った懺悔やらが一気に押し寄せてきて、ただただ呆然と立ち尽くすばかりでした。


こんなに突然逝っちゃうなんて。

足元がグラグラする。
地面が地震でもないのに揺れる。

 

だめだ。しっかりしろ、アタシ!

ボウッとしているばかりじゃいかん。
お葬式だ。送り出さなきゃ。旅立ちを見送らなければ。

葬儀社に連絡し、それからがもうね、バタバタバタバタ・・・・

 



喪主は、私が務めました。

職場も一緒で、ケンカしつつも長い時間を共に過ごしました。
ハタチそこそこで現場に連れて行かれ、元請け会社に怒鳴られ、下請け会社に文句言われ、半べそで父の後を追いかけた30余年。

図面が引けるってだけで父の所でバイトをし、そこからそのまま社員になって助手を務め、気がつけば父の業務を全部引き継いで(というか丸投げされて)父の机で作業している私。

こんなはずじゃなかったのに・・・と思いながらも、父譲りの向こうっ気の強さだけで、色んなハードルを飛び越えてきました。
本当は「もう無理!キャパオーバー!!」と叫びたいのですが、叫んだところで、
「しょーがねえな。俺がやるよ」とは、もう言ってくれない。

娘に全てまかせておいて、自分は福祉の世界へと転身した父。

なんだよもー!ヽ(`Д´)ノ 私だってやりたい事があったのに!
・・・と、ブツブツ文句垂れながら、業務を引き継いでおりました。


そんな私に、父を見送る日が来るとは。


遺影は、
大分前のお正月に、母と妹、父の3人の写真を撮った時の一枚を選びました。

おしゃれだった父がお気に入りのスーツを着て、口をへの字にした仏頂面だったから、たまにはニコニコしてみろと思いながらシャッターを切った一枚です。

住職の読経を聞きながら遺影を見つめていたら、ふいに気づきました。



ああ。
この時の父は、
私を見つめていたんだ。
カメラを構える私を見ていたんだ。

そして今も、父は、私を見ているんだね。。。

遺影の父は、目元も口元も穏やかで心なしか微笑んでいるようにも見えます。
こんな穏やかな顔をする事は滅多になかったのに。

父は私を見つめて、
「まぁ、後は頼むぜ、なんとかならぁ」と言っているようでした。

「米寿までは生きてえなあ」
その願いは叶わなかったけど、仕事に趣味に、全力で駆け抜けた85年の生涯は、楽しくもあり、やりがいのある日々だったと思います。

きっと今頃、先だった友人達と再会して、大好きなお酒を酌み交わしているのかも。

猫好きで、3匹の猫達を娘以上に(笑)可愛がってた父。
なかでもふう太はお気に入りでした。

元気だった頃に参列した、あるお通夜の席では、
「おう、俺はもう帰るぜ。子供が3匹待ってるからよ」と言って傍らにいた人を笑わせていた父。子供3匹てww

社福法人を立ち上げ、施設の運営やグループホームの設立にも奔走していた父。
利用者さんのご家族の女性が父に「私ももう60になったわよ~」と言ったら、
「おぉ、若いなぁ。59にしか見えねえぜ」と言って笑わしていた父。
それ全然褒めてないしww

7年前の2月の大雪では、
カーポートの屋根に積もった雪おろしが元で、腰椎の圧迫骨折をした父は、市内の整形外科に入院、そこで入院していたオバチャン達とすぐ仲良くなると、花札を持ち込んでコイコイやってたっけ。オバチャン達は退院する父を見送ってくれたっけ。
(オバチャン達とは相性がいいww)

カメラが大好きだった。

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父の愛用していたNikonS3。手元に置きたかったのに、古物商に売ってしまった。

その趣味は幼い私に受け継がれ、私は写真を撮るのが好きな子に育ちました。

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父のカメラはおもちゃでした。
ローンを組んで買ったカメラを持ち出して地面に落としちゃった事も・・・

初めて自分で買ったNikonも、父の助言で使いこなせる様になりました。


そして、
私のNikonで撮った、在りし日の家族写真が遺影となりました。


あっけなく逝ってしまったから、遺言もなければエンディングノートも無い。
遺品整理が超大変だよまったく・・・


何を言っても、もう届かない。

泣こうとしても、まだ泣けない。

ふいに悲しくなり、涙が目のきわまでせり上がってくるんだけど、
あふれる事なく、引っ込んでしまう。

いつか思う存分泣けた時こそ、私の中で色々納得出来て、区切りが付けられるのかもしれない。

それがいつになるのか。私には解らないけれど。


今、私は淡々と、色んな整理作業に追われています。
母を支えながら。
悲しいも寂しいも後悔も全て置き去りにして。




お父さん。私をこの世に生み出してくれてありがとう。
あなたの娘は頑張りますよ。
見守っていて下さいね。


あと何十年かしたら、私もそちらに行きますが、
その時、出来れば
「おう。よく頑張ったじゃねーか」ぐらいは言って下さいよ。
そしたら「あの時はもう本当に大変だったんだから!」と文句言うつもりです。

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池の横で。多分父は32歳で、私が4歳。多分だけど。

おやすみなさい。