かじかのつぶやき

絵を描き 写真を撮り 本を読み 猫と遊ぶ ときどきお仕事な日々。。。

第二ラウンドへ。

父方の祖父はいつも、
私を抱っこして橋のたもとや川沿いの小道を歩いた。
やっとヨチヨチ歩きの私は何も覚えていなかったけど、父母からそんな話を聞いていたので、祖父との思い出は、無いようで、あるのだ。
禿げ頭に黒縁めがね、口が悪く、ニコリともしないお爺さんは、私には優しかったそうだ。
祖父は、私が6歳になった時、父と同じ呼吸器の病気でこの世とおさらばした。

その祖父が創業した会社を、
長男である伯父が株式会社にし、大手町勤務だった次男の父は、兄を助ける為に企業を辞めて、地元に帰った。

それから10数年後、
私はその会社で、図面引きのバイトを始めた。
デザイン学校で製図を習っていた私は、夏休みから年明けまで、何枚も造園工事の平面図や詳細図、立面図に断面図を仕上げたものだった。

そして成人式の前後も図面引きのバイトをし、そのまま正社員になった。
38年前の事だ。

そうやって図面作業人員として入った会社だから、図面の仕事が無くなった時点で辞めても良かったのだ。もう手書きでの仕事がないならそこで終わり。
だが、父は私に経理の仕事をさせる様になり、お金の管理なんか大嫌いだとぶうぶう文句をたれながらも、伝票整理から振り込み業務まで、あらゆる事務仕事を任された。
見積書・請求書等の作成も担当した。その頃には、書類も手書きからワープロ作業へと変わって行く。
ワープロ専用機のSHARP書院や、富士通OASYS、さらには東芝のRupoで、何通の書類を作成した事か。(ちなみに当時はかな入力でした)

伯父は代表取締役を退き、代わりに父が就任して会社を支えた。雑務も増えて、いよいよ辞めにくくなる私。。。

そして、MS-DOSのパソコンが置かれ、否応なしに給与計算ソフトによる給与計算も任された。不器用でお金の扱いが雑な私には、もうRupoの時点でキャパオーバーだったんだが、コマンドを覚え、恐る恐るキーを押し、ローマ字入力練習帳みたいなのを買ってきて、毎日パチパチ打つ練習。
もう無理!もう無理!言いながらも、段々と覚えて行く私。必死だった。
PCも、Windows95、98、Meとバージョンアップしていく。テンションが上がった。
それと同時に、Excel、Word、一太郎が使いこなせないと仕事にならなくなった。頭を抱えた。何冊もテキストを買って勉強した。(多分受験の時より勉強した)
こういう作業、専門の人を雇えよ!アタシの仕事じゃねーよ!!と文句を言いながら、キーボードを叩く。タイピング速度が上がっていった。
官公庁に提出する申請書類も山ほど作って押印し、机の横に積み上げた。
アタシは図面屋じゃなかったっけ?なんでこんな事しとるの?自問自答の日々だった。

その後、父は社福法人の立ち上げに関わり、会社から離れた。
その時点で「今度こそ!」辞めようと思ったのに、山積みの仕事が私を引き留めた。
父の壮大な置き土産を引き継いでしまった。
会社は、伯父の長男(つまり私の従兄)が継いだ。

そしてまた10数年が過ぎた。従兄が退任となり、生え抜きの従業員が4代目となる。
そこで辞めれば良かった。
でも、祖父や伯父、従兄、父が残したものを守らねばと言う気持ちが育って来て、私はそのまま残る道を選んでしまった。
そして6年が過ぎ、
世代交代と言う風が吹いてきた事に気づいた時には、もう会社が以前のままじゃない事を思い知る事になった。(だから従兄と一緒に辞めとけば良かったのよ)

祖父も、伯父も父も、もういない。
若かりし頃に相談に乗ってくれた従業員さん達はみな旅立たれた。
従兄は新天地で生きている。心配かけたくない。

孤軍奮闘してきたけれど、そろそろ終わりにしようと考えた2021年。
もうちょっと先の「区切りの年齢」まで頑張ろうとも思ったけれど、
自分が今ここで、どうしたいか自問自答した結果、去る事を決めた。

思い立ったが、吉日だぜ!!

でも、ハタチから40年近く同じ場所で働いていると、会社が自分そのものの様で、寂しくてならない。何も知らない学生だった私をここまで育て導いてくれたのは、この小さな会社だった。ここで私はずっと守られてきたのだ。
去ると決めてから一層、いとおしく思えて来た。

そんなだから、私の業務が4月以降もずっと順調に進んで行くのか、心配がつのる。

そんなんじゃ辞めなければ良いのに、と言われてしまいそうだが、
ズルズルと居座るような事はしたくなかった。
3月31日をもって、私は退職した。

職場の近所に、
就労当初から親しくして頂いた地主さんや株主さんがお住まいで、退職の挨拶に伺うと、皆様一様に驚き、寂しくなるわねと惜しんでくれた。
涙ぐむ奥様の顔を見ると、辞めた決心が揺らぐ。小さな後悔が湧く。

大事に思って下さった人がこんなに間近にいたんだなあ。
今、気づくなんて。

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従業員さんが贈ってくれた花。

従業員さん達からも感謝の言葉と大きな花を頂いた。ありがたい。
会社の取締役を務めるもう一人の従兄(父の姉の子)からもプレゼントを頂き、いつもの退社と変わらぬように出て行こうとしていたけど、感激と切なさで溢れた。

4月から、私はどこにも属さない、フリーな人間になった。
なのに、なんだかまだ社員だった頃の感覚が抜けない。
4月は厚生年金の料率が変わるんだっけな、労働保険の更新しないとだよな、などと余計な事を考えてしまう。

でもきっと、それも抜けて行くだろう。時間が解決してくれる。
心身共にフリーな気持ちでいられる時が来たら、

私は、絵の世界に再び戻って行こうと思っている。