かじかのつぶやき

絵を描き 写真を撮り 本を読み 猫と遊ぶ ときどきお仕事な日々。。。

"Till The World Falls" ~Nile Rodgers,CHIC

たまには音楽ネタ(ついこないだQUEENネタだったけど)

BS朝日で放映している「ベストヒットUSA」を毎週観てる。
これは去年の11月の放送だけど、久々に観たナイル・ロジャースが相変わらずオサレで格好いいオジサンだった。
曲も80年代を彷彿とさせるメロディ。
MVに出てくる黒人モデルが超可愛かったわ。
35年前から変わらないMCの小林克也さんも喜寿を迎えられたご様子。
お元気そうでなにより。
お歳ですから、お身体を大事にして欲しいけれど、
この番組は20代の頃からずっと大好きだったので、出来るだけ長く続いて欲しいなあ。

80年代のヒット曲と彼は切り離せないわね。


Nile Rodgers, CHIC - Till The World Falls (Lyric Video) ft. Mura Masa, Cosha, Vic Mensa

昨年は26年ぶりに新作発表。

It's About Time

It's About Time

 

今年67歳だけど、
今年72歳になるQUEENブライアン・メイが来年日本公演をされるそうだし、
まだまだこれからよね。

話したい、聞かせたい。

もう大分前の話なんですが、

池袋の某大型書店に行った時のこと。

エスカレーター脇のベストセラー書籍が並ぶ棚の辺りで、男性の大きな声が耳に入って来ました。

私は月刊誌のコーナーでBRUTUSのバックナンバーを物色していたのですが、
低い書架越しにそっとそちらを窺うと、初老の男性客が年若い女性書店員さんに何か講釈を垂れている様子。

私は平積みの雑誌をゆっくりと眺めながら、売れている単行本が並ぶ棚近くまでそれとなく移動しました。

初老の男性は女性店員に怒っているのかと思いきや、なにやら得意げです。

「ボクはね、女性ってのは必ず連絡するタイプだと思うんだよ。ボクは男性だから連絡しない。面倒なんだ。でも女性は違う!」



え?
なんだって?←耳がダンボになる

「男性は連絡先を書いても勤務先や携帯だろう?女性は違う!自宅の電話番号を書くだろう?」

女性書店員はにこやかに小さく相槌を打ちながら、聞き流しているご様子w

「男はね、自宅にはいないんだよ!」

 

・・・・・・はい?(*゜д゜*)

ヒトサマの会話に聞き耳を立てているはしたないワタクシですが、
この講釈垂れ爺さんが何をまくし立てているのか、細かい所までは解りません。

が、どうやら売り切れ本の注文をしてたけれど、入荷のお知らせが来ないまま時間が経ち、気になって店に立ち寄ったらとっくの昔に入荷していた・・みたいな話、らしい。

で、書店側は再三ご連絡申しあげましたが、連絡が付きませんでした、的な事を伝えたのでしょう。

「男はね、自宅にはいないんだよ!」

 

じゃー連絡付く所を教えとけよ爺さん。
若いおねいさん、困ってるぜ。


その後、
言いたい事を全部言えてスッキリしたのか、お爺さんはじゃあまた!と笑顔で書店を出て行きました。

後に残った若い女性店員さんは、持っていたハタキで書架のお手入れを始めました。
彼女より少し年上の女性書店員さんが近づいて来て様子をうかがい、若い店員さんは笑顔を交えて報告していました。

あのお爺さんはこの書店の常連で顔なじみなのかもしれないね。


こういう「持論炸裂型」な人は、年齢に関係無くたまにお見かけいたします。

職場にやってくる取引先の営業さん(私より年下)にもいて、彼が来ると私は完全聞き役になります。
先日も、聴衆は私ひとりという状況で、2時間の大演説会となりました(^0^;)

よくそんなに話す事があるなー(笑)

私の周囲に限って言えば、こういうタイプは女性より男性の方が多いかも。

我が父もそういうタイプだし(但し2時間も喋らせんよw強制終了じゃ)

自分の事を、ワーッと喋りまくる人って、普段は無口だったりする。
ここぞって時に「講釈魂」が発動、炸裂するw
今回、書店員の女性がその発動ボタンを押してしまったのね(笑)

私も一昨年だったかな、
地元の桜を撮影に来た、都内在住と言う初老のカメラマンの「講釈魂」をスイッチオンしてしまい、ちょっと大変な事になりました(笑)

 

ツボ押しは身体に良いけど、
スイッチ押しは気をつけようw

オジサンはそして、
若いお姉さんに言いたい事が言えて、
お目当ての本が手に入って、
その日一日、きっとハッピーだったかもしれない。
わかんないけど。

誰かが聞いてくれるってのは、それだけで幸せな事だよ。
聞いてあげるってのは、ある意味社会貢献だねw

私も、色んなシーンで聞き役になるので、
内容によってはどんよりする事もあるけれど、
聞いてくれる優しい仲間にも恵まれたので、
プラマイゼロです(*^ω^*)

ああ、あの書店に行きたくなってきた。
連休中に出かけてみようかな。

元に、もどる。

mixiTwitterFacebookInstagramtumblr・・・

ここ十数年であちこちに投稿場所を作ってしまいました。

それと同時に、
発信すべきものを見失いつつあります。

同じ記事を複数の場所で発信する事もあって、
なんだか無駄に消耗してる気がしてなりません。

正直ちょっと疲れてきたし。

なので、
放置気味だったブログに文章載せようと思います。
連携も解除で。
今年でブログ始めて15年。
初心忘るべからずだわ。


恵比寿の教室で描いたつばき。
またパステル画描こう・・・

ずっと、こうしていたいから。

27年以上通い続けている、
恵比寿の絵画教室でご一緒している方が、今春卒寿を迎えられました。

私が初めてこの教室に伺った時、
私は20代後半で、絵を描いて行こうかどうしようかとても迷っていた時期でした。
デザイン学校で製図を学び、それを活かして父の助手として造園建設会社で働き始めたものの、目指す分野では無かった事が、心の片隅でくすぶっていました。

自分にどんな絵が向いているのか。
アニメとか漫画の世界は10代もしくは20歳そこそこでデビューする現在、私が今から目指しても、もう遅いんじゃないか←かなりネガティブwというか弱気。

じゃあ油絵?
高校時代に描いてはいたけど、好きで描いていたかと言えば微妙。
水彩画は割と好きだったけど、迷いは募る一方で。
絵を描く事を生業には出来なかったけど、趣味で良いからやっぱり続けたい。
一人でただただ描くだけじゃ、自分がどの程度描けるのか、まだまだ未熟なのか解らない。
ならばどこかに通って、腕試しをすればいいのか。
どこに通えばいいのか。
当時はまだインターネットも一般には普及していない時期。
書店でガイドブックを探してみるか・・・と、都内に別用で出かけた折に書店へ立ち寄ってみました。

平積みになった月刊誌の一つを手に取り、パラパラとめくって、
ふと目についたのが、恵比寿の教室でした。
チケットを購入して、自分の都合の良い日時に通えるのが魅力でした。
これなら気楽に通えるかも。チケット代も5枚つづりで1万円だし(その後4枚1万円に値上がりしました)。
主に教えているのはパステル画。
パステル画ってどんなもんだろう?
色鉛筆画は何度も描いていましたが、パステル画は未体験でした。

駅から近いのも魅力でした。
恵比寿はその昔、デザイン学校の合同授業でグループ作業を行う事になった、インテリアデザイン科のO君が住んでいた街で、夏休み中のグループ作業を続ける為に、彼の家に何度かお邪魔した事がありました。
(O君元気かなあ?)

あの日から9年。恵比寿駅は当時のままでした。
恐る恐る、教室の扉を開けた時、
そこに居たのが、今春卒寿を迎えたHさんでした。
40号の大きなパステル用紙に描かれた美しい静物画に釘付けになりました。
淡い油絵、そう表現すれば良いのかな。こんな描き方があるんだ!と感動を覚えたものです。

先日、その事を手紙に書いて送ったら、温かいお返事が届きました。

卒寿を覚えていた事への感謝や、長い年月の中で色んな出来事があった事、
他のお仲間さん達との交流なども書かれ、結局私がHさんと最も長いおつきあいのあるお仲間になりました。

年の差は30歳以上ですが、それを感じさせない若々しさと瑞々しい絵心に、
私はいつも圧倒されます。
こんな風に絵が描けたら良いなぁといつも思います。

私が卒寿を迎えた時、果たしてまだ絵を描いているのだろうか。

っていうか、
90までアタシ生きられるかな(;゜ロ゜)

能天気でも病気にはなるもんなー(^0^;)

通い始めた教室で、
見よう見まねで描き始めたパステル画ですが、
2年後、公募展にまさかの入選、上野にある東京都美術館に展示されました。
同年12月には別の公募展にもまさかの入選、同じく東京都美術館に展示されました。
その後は某美術団体の公募展一つに絞って毎年出品し、美術団体の会員となって、
銅賞と金賞を頂いた年もありましたが、本当に描きたい絵を描こう・・・と思い立ち、美術団体を退会し、フリーになりました。
現在の様子は、前記事に書いた通りです。

現在、絵画教室をお休みしている70代後半のKさんと言うご婦人が、
O君のお母様と「ママ友」だった事が解り、
世間は狭い・・・を実感しました(笑)
ちなみにO君は独立して恵比寿には住んでいない様子。

もし、O君に会う機会があったら、
今もデザインの世界にいるのなら、
私もこうして恵比寿で色鉛筆画を教えているのよって伝えたいです。
君の描く絵は結構好きだったよ、と。
絵が、ね。絵、が(笑)



さて、来週火曜日もお教室です。
生徒さんと楽しいお絵描きタイムです。

頑張りましょう!(*^ω^*)

描きたい気持ちさえあれば

市内のカフェの一隅をお借りして、
色鉛筆画教室を開くようになって2年半、いや3年になるのかな。
(うろ覚え)

自分でもここまで続くとは思っていませんでした。
生徒さんが集まるか否かも解らず、最初のうちは不安で不安で。

でも、カフェオーナー様の心強いサポートのおかげで、
今月も開催出来ます。ありがたやありがたや。




さて、
最近たまたま観始めて、
最終回まで見届けてしまったドラマがあります。

www.nhk.or.jp
他人に言えない趣味を胸に秘め、
好きなものは好きなんだ!と強い気持ちで前を向くヒロインの物語。

毎週ゲラゲラ笑って観てましたが、
世の特撮ヲタな方々には熱い共感を呼び起こした様ですね。

私自身も特撮ドラマは観ていたけれど、多分小学生~10代前半ぐらいまでかなあ。
その後、SNSで知り合った同年代の特撮好きな人に比較的新しめの作品をいくつか教えてもらい、TSUTAYAで借りて観賞した事がありました。

それはそれでとっても面白かったし、教えてもらえて良かったけれど、
再び観ようと言う情熱はもう残ってないなあ。
なんというか、温度差ってのを痛感しましたw

↑のドラマで、ヒロインが特撮ヲタだって事を母親に言えずに悩むシーンがあるのですが、私も幼い頃、絵を描いていると母によく叱られていたのを思い出しました。

絵を描く事は悪い事。

叱られてばかりいると、そんな風に思い込んでしまいます。

でも、描きたい。好きな事がしたい。

↑のドラマのヒロイン同様、こっそり隠れるようにして絵を描き続けました。
(もっとも、私も宿題や予習復習を放り出してマンガイラストを描き続けていたので、そこはやっぱり叱られても仕方ない訳ですw)

そんなコソコソ描きを褒めて支えてくれたのは、同級生達でした。

特に、高校に進学してからは、自分の為じゃなくて同級生達の為に描いてたようなもんだわ(笑)
ストーリー仕立てのマンガを2作同時進行で描いてたっけねw

あの時、盛大に褒めちぎるそばから、次から次へと描く事を要求してきた容赦ない(笑)クラスメート達の飴と鞭(笑)が無かったら、私はとっくに絵など思い出の小箱に封印してペンを折ってしまったでしょうね。



みんなのおかげだよ、ありがとうね。


そして今、
恵比寿と地元で色鉛筆画をお教えする機会を持ち、
生徒さんには楽しんで絵が描けるよう、色々と模索しつつご指導しています。

美大進学のレッスンとは違うので、完璧なデッサンを求めてはいません。
短時間で、かわいくキレイに仕上げられるよう、1人ひとりの個性を活かす描き方を探りながら提案しています。

ご指導する中で気づいたのは、

「描きたい」と思う気持ちがあれば、描ける。

描きたいと思えるモチーフには、描き手の愛情があります。
かわいいとかキレイとかお気に入りとか、思い出の品だとか、
なにがしかの「愛」がこもっています。

それを絵に描いてみたいと思った時点で、2割進捗したと思っていいかも←持論

やっぱり、好きなものだから、ちゃんと仕上げたい気持ちは強い。
誰かに見せたいと思うならば、更に仕上げたい気持ちは強いよね。

なので、私はお絵描き教室には「描きたいと思ったモチーフやその写真をお持ち下さい」と申し上げています。

お孫さんの写真を持参する生徒さんは割と多いです。
あとは、ペット。庭に咲いた花や、旅先の風景など、自分が「好き」なモチーフを選ばれます。

愛があれば、大丈夫。

そんなフレーズをどこかで聴いた事があるけれど、絵を描くのにも同じ様な事が言えるかも。

まずは、下書きから色塗り、仕上げのプロセスを、1人ひとりに合わせてアドバイス&お手伝い。

多分、私の様な教え方は本来の絵画教室ではあまり推奨されない方法かもしれません。

30年近くお世話になっているパステル画の師匠、S先生を見習いながら、私に出来る指導方法を考え、時には生徒さんからも学ばせて頂きながら、これからもゆるめにノンビリ、教室が続けたいけたらなと思います。

関わって下さった皆様に、心より感謝申し上げます★
これからもよろしくお願いいたします☆

流れ星に出会うまで

お久しぶりでございます。
今日は、はてなブログの【お題】を選んで記事を書いてみましょう。

 

お題「もう一度行きたい場所」

 

私にとって、もう一度行きたい場所。
それは万座温泉の宿です。

遡る事、40年前の夏。
両親と私達3人姉妹、5人で出かけた最初で最後の家族旅行。


当時は高速道路も便利に伸びている訳ではなく、一般道を地図を見ながら走ったので、埼玉のお隣の群馬県も、とても遠い場所でした。

夕方、軽い夕飯を済ませてから出発です。
当時の父の車は、マツダのグランドファミリア。
車酔いしやすい末妹が助手席で、左端に母、真ん中に上妹、右端の運転席の後ろに私が乗りました←大分狭かったよ( ̄▽ ̄;)

どこをどう通って群馬へと入ったのか、
当時高校1年の私は旅や道路に全く興味が無かったので解りませんが、山を越え峠を越えて行ったような記憶があります。

街灯の少ない道で、ガードレールの向こう側は暗闇に沈む渓谷があり、工事中の保安照明が点滅していた事は覚えています。
うら寂しい道を抜けると、暗い灯りが灯るドライブインがありました。


※今、ドライブインて日本中にどのくらい残っているんでしょうね?高速道が発達した今は、サービスエリアやパーキングエリアも充実していて、一般道のドライブインも【道の駅】に取って代わられ、商売にならないんじゃないかなあ・・・※

他にお客もいない店内で、ラーメンを夜食代わりに食べた気がします。


休憩を終えてしばらく進むと、道の両側を歩く人が急に増えました。
街灯も明るくなり、開いている店もある様子。
父に聞くと「軽井沢だよ」との事でした。
うんと後になって、そこが旧軽井沢銀座だと知りました。

やがて人通りは再び途切れ、街灯の灯りも乏しい坂道を上って行くと、とても広い場所に出ました。
そこで車中泊です。

狭い車内。
身体を折り曲げて目を閉じました。
エンジンを切ると一気に温度が上がります。
窓を開けると蚊の大群。
寝られたもんじゃありません(;´Д`)
座席で身体を反らせ、頭上のリアガラスから外を眺めました。

あ。

(*゜д゜*)

木立の間からのぞく星空。
次々と流れる流星。
まるで雨粒のように、夜空に線を描いて消えて行きます。

なんとか流星群接近、と言う話題になると人はみな夜空を見上げますが、
あの時みた流れ星は、その後の色んな流星群よりも遙かに多く、美しかったです。

・・・それにしても、
私達家族は一体、どこで車中泊をしたんだろう。
鬱蒼とした木々の合間に大きな広場。あれはどこだったのか。

目をこらして外を見ると、
私達と同じように様々な車が停まっているのが解りました。

暑苦しさと流星の美しさと家族の寝息の中で、
私もやがて眠ってしまいました。



朝。


浅い眠りゆえ、なかなか目が開かないうちに、父は車を発進させました。
(そのせいで、どこに車中泊したのか今も解らぬままです)

木々の合間を縫うように走っていくと、森が切れて朝日が眩しい道路に出ました。
車を停め、降りるように促す父。
ダラダラとドアを開けて外に出る私と妹。
8月だと言うのに、早朝の空気は冷たくて一気に目が醒めました。
目の前に広がるのは、石と砂で出来た山。
硫黄の匂いが鼻をくすぐります。
浅間山の麓でした。


他にも観光客が居て、朝日に輝く美しい浅間山を写真に収めているようでした。

私は正直眠いし寒いしお腹空いたし、早いとこどこかで朝ご飯食べたいと切望していた様に覚えているのですが、どこで朝ご飯を食べたのか全く記憶がありません。

そこから先は、
再び木々に囲まれた道をクネクネと走って行ったと思います。
硫黄の匂いが開いた車窓から再び匂う頃、万座温泉に入りました。

私達が泊まった宿は、木造の古びた湯治場の様な民宿で、太い梁と磨き上げられた廊下や階段に歴史を感じさせる建物でした。

確か、そこから少し離れた場所に万座プリンスホテルがあった様な気がします。

泊まった部屋の窓の向こうには森が広がり、涼しくて落ち着く部屋でした。
蝉時雨が遠くの木立からゆっくりと漂う様に聞こえて来て、遠くに来たんだなーとしみじみ思ったものでした。


お風呂に入った時、石鹸が使えない事にビックリしました。
Σ( ̄□ ̄;) 泡立たない!何で?何で?
硬度の高い温泉水に石鹸の成分が反応して泡が出ない事は解っていても、ホントに泡が立たないんだなーと実感。

温泉の良さを堪能出来るほどオトナじゃなかった私は、熱いお湯に辟易。
のぼせた頭で部屋に戻り、あっと言う間に眠ってしまいましたよ。

翌朝。

木立に朝日が射してくるのがとてもキレイで、
窓から風景写真を数枚撮ったのですが、光量不足で思い切り手ブレ。。

宿の食事はどんなだったか、
食堂で食べたのは解るのですが、何を食べたのか全く覚えていません。
(40年も経つと人の記憶とはかくもおぼろげになるのか…)

宿の支払いを済ませ、再びグランドファミリアは走り出します。

途中、湖か沼があったような。
名前は分かりません。
白樺も沢山見たような・・・
写真が殆ど残っていないのが残念。
父がnikonS3で沢山撮っていたと思うんだけど。

帰り道は混んでいました。
上りの車線で度々渋滞につかまりました。

ボンヤリと窓の外を見ていると、地元では見かけないガソリンスタンドを幾つも見かけました。

毛筆で書かれた「出光」の文字。
初めて見ました。
何て読むのかなあ・・・

うんと後になって、
自分でも車を運転する様になってから「いでみつ」と読む事を学びましたよw

ノロノロ運転と炎天下は、容赦なく車中の人々の体力と機嫌を損ねましたが、なんとか無事に懐かしの我が家wに戻って来られました。
その後、私は部活や友達との約束を優先した為、家族5人での旅行は結局それが最後になりました。
上の妹は亡くなり、父母も老いました。
運転していた父にルートや宿の名前を尋ねるも、齢80を越えた父は、
「万座には行ったけど、もう道も宿も覚えてないよ」と言うばかり。

断片的な記憶と共に、
最初で最後の5人の旅行は永遠の思い出になりました。

 

再びあの日の旅行を思い出したのは、それから30年以上経ってから。

持病の治療で通院していた私は、処方箋薬局で何となく手に取った雑誌に目が釘付けになりました。

それは全国のドライブガイドで、
見覚えのある木立と木々の間をくねくねと伸びる道路の写真に目が釘付け!

 

ここだ!ここ!

ここ通ったよ!

処方箋薬局でお薬をもらい、その足で書店へ。
同じ本はもう売ってないので、道路地図を買い、父に「ここ通った?」と聞いてみたのですが、

「あー。。。通ったかもしれないけどな」以上。

ああー。道だけでも辿れると思ったのに。
車中泊の場所が解ると思ったのに。



15の夏。

流れ星に見とれながら眠った夜。
渓谷に点滅する赤いランプ。
華やかな旧軽井沢銀座
寂しいドライブイン
幼い妹達がかぶっていた白い帽子。
途中の店で買った週刊少年サンデー(笑)
板の間が続く温泉宿。
白樺の原生林。

何もかも、まだそこにあるかのように思えて、
私はもう一度そこに行きたくなりました。

私と違い運転大好きな加とさんに頼んで、
いつか同じルートを通ってみたい。

そして、
車中泊はしなくとも、もう一度あの夜空を流れる星々を見たい。

ささやかな、私の夢です。