かじかのつぶやき

絵を描き 写真を撮り 本を読み 猫と遊ぶ ときどきお仕事な日々。。。

手放すとき。

毎年、ニイニイゼミが鳴く頃になると、
私は保健所から郵送されてくる書類に目を通して申請の準備に入ります。

なんの申請かと申しますと、
指定難病医療給付制度、なるものがありまして、
私の持病はその難病に指定されているのです。

こんな能天気で病気なんかしそうもない風体の私が難病持ち?
驚かれるかもしれませんね。大体、痩せてないし(笑)

私の持つ難病は、潰瘍性大腸炎です。

読んで字のごとく、大腸に潰瘍が出来ちゃう病気です。

原因不明のアレルギー疾患で完治が非常に難しく、症状は軽症から重篤なものまで幅広いです。
簡単に言うと、
大腸が大腸自身を異物とみなして攻撃し、腸粘膜を剥がして腸壁に潰瘍を作ってしまうのです。

軽症だと、ちょっとだけ下血するので、最初は「ぢ」かと思って放置しがち。
それが症状が進むと、排便の時に半透明の粘液の様なものが増え(ひっぺがされた腸粘膜)やがてそれが日に何度も排泄されるようになり、次第に赤く色がついてきます←腸壁に潰瘍が出来て血が出てるって事ですね。

さらに進行すると血液混じりの下痢が始まり、お腹に鈍痛や疝痛を感じます。
さらに、微熱が出たり心拍数が上がってきます。
私は1分間に100くらいでした。運動もしとらんのにさ。

下痢・下血の回数は日に5~10回。一番酷い時で20回以上もトイレに駆け込みました。
やがて猛烈な腹痛が日に何度も襲って来ます。
この時点で内視鏡検査をすると、腸壁には真っ赤な潰瘍がいくつも出来ています。
口内炎の親分(笑)みたいなのが一面に出来ている・・と思えば、想像するだけでも痛そうですね(笑)

これがね、もうね・・・気を失うレベルの激痛。
会社で仕事中に襲ってきた時は、なんかもぉ・・・刀でバッサリお腹を斬られたみたいな激痛(斬られた事ないけど多分そんな感じだよww)に絶叫し、椅子に座っていられずに応接間に駆け込み、ソファに倒れ込んだところで意識を失いました・・・・

その日、事務所には私1人だったので、誰にも気づかれないまま2時間もソファで気絶していました。
意識を回復した時には痛みは治まっていましたが、体力を使い果たした為に起き上がるのもやっとで、その日はそのまま早退しました。

何かを食べると激痛&激しい下痢の繰り返しなので、食べる事が恐怖に変わり、食べたいけど食べられないと言うストレスが更に症状を悪化させ、坂を転がり落ちるように具合が悪くなって起きられなくなりました。

この病気、専門医が非常に少ない(2006年当時)。
ネットで調べて、炎症性腸疾患に詳しいクリニックが航空公園駅近くにあると解り、藁にもすがる思いで受診。
診断結果は「潰瘍性大腸炎」で、レベルは「中等症」(真ん中辺て事よ)。

そして、保健所に難病申請をして、私は難病患者になりました。

申請が認められると、医療費が年収に合わせて自治体から補助されます。
これは有り難い事です。治療方法によっては、月額で100万単位の出費になる場合もありますが、それが数千円で済むのですから。

ちなみに、
この病気は、かの安倍総理も罹患しております。
あの方は学生時代に発症し、当時は病名も治療法も確定せず大変な思いで病気と闘って来られた様です。
前回、総理大臣になられた時に体調不良を理由に突然退任されましたが、あれはこの病気が悪化した事によるものでした。

当時の主治医も「この病気を持っていたら、とても総理などつとまらない」と申しておられましたが、新薬の開発も進んで今では緩解期(治った訳じゃないけど症状が治まって元気な状態)を維持されているご様子です。

総理を支持してはおりませんが(笑)同じ病を持つ者同士として、
下血止まって、よござんしたねー。
と言う気持ちはありますwww

難病発覚から10年が過ぎました。
今の私は緩解というか、ほぼ完治状態です。
なので、毎年続けてきた難病申請も「卒業」する事にいたしました。

こうした給付金は、
実際に症状があって日々辛い思いをされている人の為にこそ使われるべきであって、私の様に無症状で通院もせず薬も飲んでいない人間が「難病持ちだから」と継続申請するのは、何か違う様に思うのです。
 ※これは私個人の主観ですので、全ての難病患者さんにこうすべき、などとは決して思ってはいない事をどうかご理解下さい※

難病患者が持つ給付金の受給者証(保険証みたいなものです)は毎年9月末で無効になります。
なので、初夏の頃に指定医療機関を受診し、申請書類、年収の解る書類、保険証などを揃え、大腸内視鏡検査の結果報告書を作ってもらって、保健所に提出します。
この一連の作業が結構大変!年1回とはいえ、2リットルの下剤を飲んで腸内を空っぽにして内視鏡検査に臨むのは体力も必要です。

検査を受ける事自体は健康維持には大切かもしれませんが、更新手続きは・・・

散々考えて、卒業する事を選びました。

完治不可能な難病がどうしてそんなに良くなったかと言いますと、
これは漢方薬のおかげです。
2010年、私の大腸は西洋薬が効かなくなり始めていました。
その前年、アサコールという新薬が登場し(安倍総理も服用されているとか)私もかなり症状が軽くなったのですが、7月半ば頃から再び下血が酷くなり、服用量を増やすものの症状は改善せず、次は入院して絶食状態から改善させるか、或いは全大腸摘出か・・・と言うところまで来ていました。

入院も切腹もゴメン(笑)な私は、ネットで調べた漢方薬を試してみる事にしました。

それは広島市にあるクリニックだけで処方される「特効薬」で、
完治状態まで回復した症例も数多く報告されているものでしたが、薬品の認可が下りず保険が利かない状態でした。

また、処方してもらうには緩解状態ではなく再燃状態(悪化している)限定との事。

ちょうど再燃し始めた所でしたから受診は出来るものの、とおい・・・・

新幹線に乗ったのは、中学3年の時に修学旅行で訪れた京都・奈良への移動以来(笑)

切符の買い方も知らない私(汗)それでも何とか、お腹をおさえつつ広島に辿り着き、無事に漢方薬を入手する事に成功。

あれから6年。
現在はほぼ無症状です。

素うどんを半分やっとこさ食べられるレベルで、
「カレーは命取りになるから絶対に食べてはいけない」
とまで言われた私が、今では辛いインドカレーをバクバク食べられます。
天ぷらうどんもラーメン類も制限なく食べられます。

ただ、キムチはちょっと警戒中。元々そんなに食べないので制限は一向に平気。

珈琲も濃い目のブラックを飲むし、ナマモノも普通にOK。

ホント、元気になって良かった・・・しみじみ。

潰瘍性大腸炎が実際に完治しているのかどうかはよく解りませんが、
漢方薬もすでに飲み終えて服用しているものが無い状態での緩解状態維持は、
もう治っちゃったって事で良いのかもw

この後、何かの拍子でまた再燃したとしても、その時はその時。
また新たに難病申請するか、漢方薬をもらいにまた広島まで行くさ(能天気)。

今現在の私の大腸は、本当に元気なのだから。
難病を免罪符にしてあれこれ逃げるような事はしちゃいけない。
それは治ろうと思う気持ちが無い証拠。
病気に甘えてはいけない。「難病患者」のレッテルは、

もう、手放すとき、なのだから。

悪化から10年。
苦しみ辛い月日がありましたが、今となってはそれも大切な「体験」でした。

ありがとう。(病気に向かってお礼言いたいです)

さて、これからまた色々と頑張るさ!元気なのだから。