かじかのつぶやき

絵を描き 写真を撮り 本を読み 猫と遊ぶ ときどきお仕事な日々。。。

ふうちゃん、また、会おうね!

3月21日。
関東では季節外れの雪が降りました。


真ん中辺にうっすらピンク色の木が見えますが、雪に覆われた河津桜です。


その前の週には、春爛漫な暖かい日が続いたのに、この雪は一体。



そんな寒い日の昼下がり。

ふうちゃん、永眠しました。

↑写真は、亡くなる3日前の朝。(2018.3.18)
大好きな加とさんの毛布の上で朝日を浴びる。

動物病院での治療を終えて元気になって戻って来てから、13日。



奇跡はもう、起こりませんでした。



1日おきの点滴治療で、その直後は確かに元気になるのだけれど、帰宅すると黄色い泡を沢山吐いてしまうふうちゃん。
その様子があまりに辛そうだったので、散々悩み、考えた結果、治療終了を動物病院に
伝えました。

年齢も16歳と8ヶ月。
負担はなるべくかけずに過ごさせてあげて、と言うアドバイスを頂いていました。
やせ細った身体に太い点滴の針を刺すのも忍びなく、ふうちゃんが身も心も一番楽な状態、と言ったら、好きな場所で過ごすのがベストだと思いました。

本当にそれが最良の事なのか。まだ生命力はみなぎっているのかもしれないのに、治療を止めるのが一番良い方法なのか。

眠れぬ夜は続き、罪悪感と無念の思いに、心は激しく揺れ動いていました。

どうしよう。どうしよう。

暗闇に起き上がり、目が慣れてくると、傍らに折り畳んだ毛布の上で丸くなっているふうちゃんの白黒の毛色が浮かんで来ました。
静かに眠っている姿をボンヤリ見ていたら、

 

「もう、静かに旅立たせてあげよう」

そんな気持ちが湧いて来た途端、堤防が決壊するように涙が溢れて号泣。
泣いて泣いて、落ち着いた頃に、動物病院に手紙を書き、治療の終了と、これまでの感謝の気持ちを伝えました。

動物病院からもお返事を頂きました。
私の決断を尊重し、院長先生からの温かい労いの言葉が綴られたお手紙にまた涙が溢れました。

通院が無くなると、ふうちゃんは嘔吐もしなくなり、眠っている事が増えました。
若い猫時代は外を出歩いては野ネズミやモグラ、野鳥(但しキジ、カラスを除く)、リス、蛇などを捕って来てはキッチンのテーブル下でガツガツ食べてしまったね。
家には、それこそ寝に帰るだけの様な日々の生活を思い出すのでしょうか、1時間ほど眠るとふいに起き上がり、外に出ようと階段を転がるように降りて、玄関へと向かいます。

家族が後ろをついて周り、庭先にふうちゃん専用に作った「青空トイレ」に行き、用が済むと今度は畑の方を散策したりするのを、背後で見守り続けました(冬の夜はキツい・・・)

時々、足取り軽く階段を駆け下りる事もありました。
亡くなる2日前など、真夜中に起き出して、猫用出入り口(ふうちゃんが出ないように普段は角材で開かない様にして更に重い板で閉じてある)を弱った前肢でこじ開けて脱出、しばらく夜の庭を散策してまた家のコタツに戻る、と言う驚異的パワーを見せてくれました。
そういう事があると、まだ元気で治る見込みがあるのでは?と思うほどで、治療終了の決断は間違っていたのかもしれないと悩み、もう一度動物病院に連れて行かねばと焦る事も多々ありました。

少ないご飯も何とか食べていたけれど、やがて一切口にしなくなりました。
腎不全ゆえか、水だけは毎日沢山飲んでいました。
が、それも次第に量が減り、ついに飲まなくなったのは、亡くなる1日前。

雪の朝。
もう起きられなくなったふうちゃんは、手足を時々パタパタ動かす以外はグッタリしていました。

私はふうちゃんの頭を撫でながら、

「ふうちゃん、ありがとう。
よく頑張ったね。治療も沢山頑張ったね。
エラかったよ。強かったねえ。
もう、楽になっても大丈夫だよ。

ふうちゃん、出会えて良かったよ。
この16年、本当に、楽しかったね。
沢山たくさん、思い出があって、
私は幸せだったよ。


ありがとう。
うちに来てくれて。

ありがとう。
出会ってくれて。


また、会おうね。
また、お散歩しようね。

ふうちゃん、
もうじき、神様の所へ行ってしまうけど、


もし、もしね、

神様がふうちゃんに、

新しい毛皮をプレゼントしてくれたら、

また、うちにおいで。


また、一緒に暮らそう。

また、毎日楽しく過ごそうね。


待っているよ、ふうちゃん・・・」



そう語りかけると、
ふうちゃんはふいに顔をあげて、
私の顔をじいっと見つめました。
大きな目で、
ゆっくりとした呼吸に合わせて、

私の顔を見つめていました。



それが、

生きているふうちゃんを見た、最後になりました。




3月21日は春分の日で、
私はご先祖様用にぼた餅を作ったり、
親類の来客にお茶を用意するなどしていて、
2階で横たわるふうちゃんを見に行く間隔が少し開いてしまいました。

お昼の片付けをして(ふうちゃん、どうしてるかな)と2階にあがって様子を見た時には、もう呼吸は止まっていました。

窓の外には、真っ白い世界が広がっていて、
雪の日でも遊びに出かけたふうちゃんならば、そこは楽しい世界だったでしょうね。


我が家で代々飼っていた猫達は、
室内・屋外を自由に行き来して野山を駆け回って暮らしていました。
その為、具合が悪くなると山に入ってしまい、そのまま戻って来なくなって永遠の別れになってしまうのが常でした。

ふうちゃんだけは、手元で看取りたい。
最後の瞬間は腕の中で旅立って欲しい。

その願いは、またしても叶えられませんでした。

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4歳頃のふうちゃん。(2005年5月)
外遊びから帰って来て、玄関先でごろん。

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加とさんに抱っこしてもらうのが、何より大好きでした。(2005年11月)

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冬の朝は猫ベッドでうとうと(2006年元旦)


3月25日。
関東では上野公園の桜が満開になり、一気にお花見客が増えた暖かい日曜日でした。

私と加とさんは、ふうちゃんを荼毘に付す為に、県内の霊園に行きました。
患った期間が短かったせいか、
骨は年齢にしてはキレイに残りました。

16年前に、折れた骨を金属プレートで繋げる手術をしてもらいましたが、
そのプレートがそのまま残っていました。
骨がプレートを包み込むように成長し、折れた箇所をガードしていました。

このプレートがあったからこそ、
ふうちゃんは毎日野山を駆け巡り、木登りをし、高い場所にジャンプし、
狩りに明け暮れケンカを繰り返し、およそ猫が生涯に経験するであろう事を殆どやってのけてくれました。

あんな事も、こんな事も。
全ては足の骨が繋がってくれたから。
手術をしてくれた動物病院の先生には感謝してもしきれません。

ありがとうございました。


どこまでも広がる青い空。
ふうちゃんの魂は、軽やかに羽ばたいて行きました。

さよならは言わないよ。

 

またどこかで会えるよね。

 

また、会おうね! 待ってるよ!


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生前、ふう太には沢山のメッセージやコメント、お手紙、サポートを頂きました。
厚く御礼申しあげます。
我が家にはまだ、お騒がせなキジトラシスターズ(実姉妹じゃないけど)がおりますので、メソメソしてるばかりじゃいられません。
頑張ります。出来る範囲で。


彼女達のこれからも、また綴って行こうと思いますので、
どうぞよろしくお願い申しあげます。