かじかのつぶやき

絵を描き 写真を撮り 本を読み 猫と遊ぶ ときどきお仕事な日々。。。

夏の日の思ひ出

今週のお題「一番古い記憶」

さて、今回はブログのお題に沿って書いてみましょう。

一番古い記憶と言うと、
胎内記憶のある方もいらっしゃいますね。
自分がお母さんの子宮の中でぬくぬくと育っていたこと、
お母さんがお腹の中にいた自分に唄って聴かせていた曲を覚えていること、
そして、狭い産道をくぐり抜けて、お母さんの腕に抱かれたこと、
初めての肺呼吸でびっくりしたこと・・・などなど・・・

さすがに私にはそんな神秘的な記憶はありません(^◇^;)

でも、生まれ落ちてから1年と9ヶ月経った、夏の日の記憶はあります。


暑い日でした。
当時、我が家の庭の半分は畑でした。
季節毎に沢山の野菜や花の苗が育ち、蝶々やトンボが飛び交うそこは、幼い私にとって格好の遊び場でした。

私は白い木綿で出来た、肌着の様なシャツを着ていて、下は赤いニットのパンツ、まだおしめをしていたと思います。
赤いゴムの長靴を履き、子供用の熊手と赤い小さなバケツを持って、私はヨチヨチと畑へ出て行きました。
畑には、祖父がいました。
夏野菜の株を廃棄し、秋から冬に収穫する野菜の種を蒔くために耕していた様に覚えています。

そこへ、ヨチヨチと入って来た私。
祖父の真似をして、畑を耕そうと思ったのでしょうね(笑)
祖父が休憩する為に引き上げた畑にしゃがみ込み、私は持っていた熊手でガリガリと土をひっかき始めました。

私の農作業デビューです(笑)

今より日中の気温は涼しかったのでしょうが、午後の一番暑い時間帯です。
帽子も被らずに炎天下の畑にしゃがんでいた私は、ほんの数分で立ち上がり、泥の入ったバケツと熊手を持って、家へと引き上げてきました。

その時、背中に感じた日差しの強さ、
自分の歩く地面にうつる、自分の影、
長靴が暑かったので畑で脱いでしまい、私は裸足でした。
足の裏に伝わる熱と、土のざらつき。

私の一番古い記憶は、そこで終わっています。
音の記憶はありません。
おそらく、今以上にセミの大合唱だったと思いますが、それは全く覚えていません。

長い事、その記憶は夢で見た事を覚えていただけだと思っていました。
それが実際にあった事だと解ったのは、写真が出て来たのです。

白黒写真に写る私は、記憶と同じ格好で、畑にしゃがんで熊手で土を「耕して」います。
撮影したのは父か、もしくは母だったのでしょうか。

傍らに転がるバケツ。白黒なので実際の色は解りませんが、赤だった事は他のカラー写真で確認出来ました。

ああ。あの時、あの夏の日、私は本当にあの場所にいたんだなぁ。

あの日の畑はもう、ありません。
祖父母もとうに旅立ちました。

当時を物語るものは、1枚の色褪せた写真だけ。

思い出は時間と共に、その場からも記憶からも、消えていくもの。
移ろいやすく儚いもの。

だからと言って、そこに留まってしまったら、新しい思い出は作れない。

過去は過去。
こうしている瞬間にも、今は過去になっていく。
だからこそ、今を大事にしていたいですね。

あの夏の日が「今」だった時、
過去も未来も考えずに「今」に集中して生きた、幼い私のように。

そして、
夏も終わります。