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かじかのつぶやき

絵を描き 写真を撮り 本を読み 猫と遊ぶ ときどきお仕事な日々。。。

お絵描き少女誕生(3)

高校卒業後の進路をどうするか。
17歳の私には、かなり悩ましい問題ではありました。

なにより父が、絵に関する学校に行く事に猛反対でした。

「絵を描くのはいいが、それが金になるのか?月にいくらもらえるのか?ちゃんとした収入になるのか?」

父は何度も私を追求し、うまく答えられない私に無理だ、不可能だと言い続けました。

父は元々芸術の世界に理解の無い人で、絵なんか描いてお金を得ている人々を軽視している所がありました。
(その割に水木しげると田河水砲の「のらくろ」のファンてどゆこと?)

足の速さでは誰にも勝てませんが、
諦めの早さでは誰にも負けない私ですよ(きっぱり)

って事で、諦めました。ええ。

父に散々言われたから、だけじゃなく、
自分に自信と覚悟が無かった事が、美大を諦める原因でもあります。

あーあ。人生初のざせつーーー。(丿A`*)

そして私はお茶の水のデザイン学校で、造園デザインを学ぶ事になりました。

何ゆえ造園かと申しますと、父の職業が造園建設会社の専務だったから。
美術関連校への進学には猛反対だった父ですが、
自分の職業に関係のある造園デザイン科だったら、二つ返事でOKしてくれたのでした。
(´-ω-`)なんだかなぁ・・・

でもまぁ、念願だった絵の学校に通える訳です(ちょっとジャンルが違うけどさ)

それに、
1年生の時は普通のデザイン学校と殆ど変わらないカリキュラムで授業が進みます。
人物や静物画のデッサン、平面構成など、それはそれは楽しかったなぁ・・

基礎課目の他に、造園デザインを学ぶ上で大切なパースなどの透視図法、製図道具の使い方、超極細線の引き方(1mm間隔の線のあいだに、10本の線を引くとか)、測量なども学びました。

線の幅が変わらない様に何度も削って尖らせて・・・・
今思えば、あの時に細い線を沢山練習書きした事は、色鉛筆でちまちま細かく重ねていく私の技法のルーツだったと思います。


どんな事でも、人生に無駄な事はひとつもない。
全て、幸せにつながっています。
本当にそうだなぁと、今になって思います。

お茶の水のデザイン専門学校でも、個性的な面々と出会いました。
不思議だったのは、みんな美術などの勉強は殆どした事がない子ばかりだったこと。
「造園」と銘打ってあるからなのでしょうが、「デザイン学校」となったらスケッチとか水彩画の1枚2枚は描いた事あるんじゃないかと思ったのですが、これまた皆無に等しい・・・

なので、ここでも多少浮いた存在ではありましたが、それなりに面白い2年間でした。

造園概論の先生が故・黛敏郎氏の弟、卓郎氏でした。顔と言い、髪型と言い、そっくりでしたよ。


そして現在の私(随分と途中を端折りますなww)。

いろんな紆余曲折がありました。

遠回りの連続だった気がしますが、その間の出来事は今となっては宝物です。

初めてヌードデッサン講習会に行った時は、当然モデルじゃなくて描く側だったのに、妙に恥ずかしくて仕方なかったこと。

KFS(講談社フェーマススクールズ)を受講し、なにげに褒められた事(*´-`*)

恵比寿にあるパステル画教室に通い始め、気がつけば22年。
その間に、朱葉会初出品で初入選。
現代童画展に出品。
蒼樹展に出品。二度目の出品で銅賞受賞。
会友推挙。
五度目の出品で金賞・ホルベイン賞受賞。
会員推挙。
蒼樹会脱退。
有楽町交通会館ギャラリーにてアトリエドガ展出品。
南青山アトリエドカにて色鉛筆画教室開講。

アトレ恵比寿よみうりカルチャーにてツキイチ色鉛筆画教室開講。

そして、昨年末、南青山アトリエドガ閉鎖。

イマココ☆

さて、この先私はどこに進もうかな?
難病が2つになって、ちょっと体力が落ちてる昨今。
体力が回復したら、久しぶりに大きい(40号サイズ)絵でも描いてみようかな・・・

読んで下さってありがとうございました。