かじかのつぶやき

絵を描き 写真を撮り 本を読み 猫と遊ぶ ときどきお仕事な日々。。。

お絵かき少女誕生(2)

小学校で、
私が絵について学んだ事は、

「子供らしい絵を描く事が大事」

その1点に尽きると思います。
私が描いていたおどろおどろしいまでの女体イラストは、そのルールから甚だしく逸脱していると自分でも解っていました。

一方で私は、自分が描きたい絵は図工の時間では描けない事も解り、一気に図工という、お絵かき好きな子なら誰でも大好きな科目に失望してしまったのでした。

うーん。

そこで私は、普段の授業中もノートの隅っこに落書きをし始めました。
授業なんて聞いちゃいません。
熱心に落書きする日々。
もちろん、家で描いてるようなエロ風味なものは描きませんよ。
万が一、誰かに見られたら大変ですから。
それに、私は特にアダルト路線が好きだった訳でもありません。
ただ、オトナって「妙なモノ・コト」に興味があるんだな、と思い、好奇心で何となく描いていただけ。
その先にある快楽など、人一倍どんくさい小学生にはまだまだ理解出来るはずもなく・・・

とは言え、この時期に女性のハダカを描いた事は、オトナになった私が人物画が何より好きになったことと、密接に結びついていると思っています。

1学期が終わり、初めての通信簿を頂き、そこで母は子育てにミスがあったのだと気づきます。

成績は殆どが「3」でした。国語も算数も理科も社会も音楽も。
体育などは「2」でした。山育ちだからと言って、決して運動神経抜群とは限らない典型でございます(笑)

そして、図工だけが「4+」でした。

母は、幼い頃に遊び相手の少ない娘の為に、お絵かきごっこをしてあげたのが、こういう結果に繋がったことを痛感します。
そして、それは、私にお絵かきを禁じる事で挽回しようと思い立つのでした。

部屋でお絵かきをしていると、そんな絵なんか描いてないで勉強しなさい!と叱るようになりました。
しかし、そうは言っても、もうお絵かきの魔力にどっぷり浸かっております。
すぐにやめられない麻薬の様なものです。
(実際、この歳までやめられずにいますからwww)
大体、母がお絵かきの楽しさを私に植え付けちゃったんだから。
散々描いてくれたのになんだよ今頃(怒)
私は母に反抗するように、また更に絵を描くようになりました。
でも、怒られるのはやっぱり嫌なので、母がいない時間や忙しい時間などに集中して描くようになりました。
また、カモフラージュの意味で、そばに教科書とノートを置いて(笑)


休み時間にノートの余白に落書きをしていると、目敏く見つけたクラスメートがもっと描いてと要求するようになって行きました。

うまいね!!
絵を描いて褒められたのは初めてでした。
父も母も祖父母も、私の絵を褒めた事は一度もなかったので。
褒められると嬉しいもんです\(>▽<)/
「おひめさま描いて」
「およめさん描いて」
「着物のオンナの人描いて」
「女王さま描いて」(ムチを持ってる女王さまじゃございませんよ)
「王子様描いて」

そして段々と要求はエスカレートして行きました。
「フリルが白で首の周りについてて、スカートは水玉模様で・・・」
足首を痛めそうな超ハイヒールな靴。ヘアスタイルはたてロール。大きなリボン。
赤いハンドバッグ。
それまで自分の好きな様に描いていた絵を、依頼人の指示通りに描くという窮屈なお仕事。
それでも、頑張ってその要求に応えていきました。

ひとえに、仲間はずれが怖かったからです。
私の周囲には仲間はずれになってしまい、寂しく辛そうにしている子が学年を問わず何人かいました。
そうならない為にがんばらねば。
「描いて」と言われると、描けるかどうか考える前にホイホイOKしてしまう。
(ま、一応頑張るので描けるんですけどね)
そういう、先を考えずに請け負ってしまう部分は、多分この頃に培われました(笑)
自分の描きたい絵だけじゃなく、他人の描いて欲しい絵を描くという、商業美術的なお絵かきに没頭し、次第に私はイロモノ的な絵から遠ざかっていきました。
それは結果としてヨカッタのではないかと思いますが(笑)

この時、私は6年生。
人生に「たら・れば」は無いけれど、この時期に、私が通える範囲内に美術の教室などがあったら・・・
私のその後の進路は大分変わっていたんじゃないかと思います。
本格的にデッサンや水彩・油彩などの教育を、早いうちから学ぶ事が出来ていれば・・・
僻地に暮らす私にとって、絵画教室など夢のまた夢、でした。

地元の中学に進学しても、お絵かき熱は冷めるどころか、ずっと熱さを維持したままでした。
でも、キチンとデッサンとか平面構成などを学んだ事はありません。
すべて自己流です。それは今もさして変わっておりません。

中学入学当時、少女漫画で流行っていたのは「キャンディ・キャンディ」でした。
当時のコミック雑誌は集英社の「りぼん」と講談社の「なかよし」が二大少女漫画雑誌でした。
私は「りぼん派」でしたが、キャンディ・キャンディが連載されている「なかよし」も捨てがたく、私は「りぼん」を買い、「なかよし派」のクラスメイトは「なかよし」を買って、先生の目を盗んで回し読みをした楽しんだものでした。

私は中学に入ってからも勉強そっちのけで絵を描き、漫画を読みふける毎日でした。
ある時、
「私にも描けるかもしれない」と思い、大学ノートにコマ割りをして台詞の吹き出しを描いて、ストーリーのある漫画を描き始めました。

今はとてもじゃないけど、こっ恥ずかしくて、ページをめくる勇気もありません。
と言うか、おそらく全て焼却したと思います。手元には一冊も残っていないはず。

一番喜んでくれたのは同級生たちでした。
彼らの「早く次を描いて!」の一言が、私のお絵かき熱に油を注ぎました。

相変わらず勉強そっちのけで絵ばかり描く私。しかも最近は漫画を描いてるらしい。
母はますますどんよりです。

私と8歳違いの妹に、母は一度たりともお絵かきごっこはしませんでした。
その代わりに、私が繰り返し読んだ「世界の神話物語」を読み聞かせ、
その結果妹は、絵は下手くそながらお勉強は大好きな子に育ちました。

全然勉強しなかった私と違い、妹はとにかく勉強する事が大好き。
短大で中国語を学び、卒業後は専攻科に進学してさらに学び、その後大陸に渡って天津の大学に2年間の留学。
中国語通訳の試験も突破し、40を過ぎた今は、法○大学で今度は日本の歴史を学んでいます。

妹に絵を描かせると、妙ちきりんなイラストを描きます。
DNAが違うんじゃね?と言うくらい、おかしな絵を紡ぎ出します(笑)

高校に進学すると、漫画熱はさらにヒートアップ。
中学時代の部活動は運動部しかなかったのですが、高校になると美術部があります。
私は迷う事なく美術部へ。
そこでまた絵の世界の新たな一面を知り、私はそこで初めて、デッサンと水彩画をキチンと描く事を覚えたのでした。

個性豊かな先輩達にも恵まれました。
油彩の難しさと楽しさを教えてくれたのも、美術部のみんなでした。
小学校のお絵かきの時間に培われた(笑)、周囲の空気を伺って自分のやる事を決めていた私に、もっと自由に自分らしい行動をしても良いと教わったのも美術部からでした。

卒業から数十年。Facebookmixiで、当時の先輩と再会出来ました♪
H先輩、あの頃はホントに色々(笑)お世話になりました。
美術部の部活はとってもとっても、楽しかったです♪

クラスでも、私の漫画描きはずっと続いていました。
中学時代よりもはるかに多くの仲間が、私の描く漫画を面白がってくれました。
「早く次を描いてよ!」
「勉強なんかしてないで絵を描いて!」←マジでこんな事を言う子もいましたよ(笑)
毎日毎日、その要求に応え続けました。勉強そっちのけで(汗)必死に描いてましたが、楽しい日々でした。

がしかし、勉強しないとイカンと気づいたのは、高校2年の終わり頃。
ぼんやりと美大に行こうとか思っていた私は、美大に行くには英語とか数学もみっちりやらないと無理なのだって事にやっと気づいたのでした(おせーよ)。

とにかく、絵しか描いてない。
やばいよやばいよ。
でも今更受験勉強とか、どうすればいいんだろう??

つづく。