かじかのつぶやき

絵を描き 写真を撮り 本を読み 猫と遊ぶ ときどきお仕事な日々。。。

お絵かき少女誕生(1)

そうそう。

いつかどこかで書こうと思っていた事があります。

私がどうやって絵を描く事が好きな人間に育ったか。

さして大したドラマなど無いのですが、自分への覚え書きも兼ねて、ちょっと書いて置こうと思います。


昭和38年11月7日。
私は埼玉県飯能市の、街から大分離れた山間部にある家の長女として生まれました。
2980グラム。まるでバーゲン品の様なグラム数です。ニッキュッパです。
20数軒の家が斜面に点在している、隠れ里の様な僻地で、私は伸び伸びと育ちました。
住民数が200名に満たない小さな集落ですから、子供の数だってそう多くない。
私と同い年の子供はみっちゃんと言う男の子だけ。
あとは2歳上と2歳下に数人。
必然的に、私は1人遊びをする事が多い毎日でした。

そんな時、とても楽しかったのが、母とのお絵かきです。
母はちょっとした挿し絵風イラストがとても上手な人で、私に沢山絵を描いてくれました。
文金高島田に角隠しのお嫁さん、可愛い帽子を被った女の子の絵、和服姿の女性。
スラスラと鉛筆から出てくる細い線がいくつも重なり、繋がって一枚の絵になる。
私にとってそれは、魔法のような出来事でした。

子供は親の真似をする生き物です。
早速私はカレンダーの裏や、祖父から毎朝一枚ずつもらうわら半紙に、母と同じようにお嫁さんや和服美人?を描き始めました。

丁度同じ頃、父からプレゼントがありました。
それは、水木しげるの代表作でもある漫画「墓場の鬼太郎」でした。
TV放映記念だったのか、それはハードカバーでオールカラーの口絵イラストが何ページもついた豪華本で、そこには地獄の様子や日本各地の妖怪のイラストが散りばめられ、幼い私はすぐに夢中になりました。

(今思うと、小学校入学前の幼い娘に、可愛い絵本とかじゃなくハードカバーの「墓場の鬼太郎」を2冊も買い与えるなんて、父もなかなか凄いチョイスでしたよねwww)

父の株が下がらないように付け加えるなら、鬼太郎以外にも全20巻の世界の昔話&神話物語を毎月1冊ずつ買って来てくれました。
これは父が当時勤めていた大手町ビルに「毎月1冊刊行」という絵本セットを売りに来た業者から買っていたものと思われます。

その他にも、幼い私にはとても刺激的な事がありました。
私が生まれる少し前に、祖父が白黒テレビを買って来ました。
テレビ番組が今よりずっと人々の暮らしに密着していた頃です。
朝から夜まで、色々な番組が流れていました。
時には、子供には決して見せてはいけないシーンも登場しました。
夜のドラマだったと思いますが、今では考えられないほど全裸の女性、キスシーンやベッドシーンが頻繁に登場していました。

チャンネル権を持っていた祖父が寝てしまうと、私はチャンネルのつまみをカチャカチャ回して、色々なドラマを眺めていたので、時折そういうシーンに出くわす事も多く、子供ゴコロに「なんだこりゃ!」でした(笑)
母はあわててテレビを消し、私に寝なさい!と怒りましたが、見ちゃったもんはもう記憶から消せません(笑)

好奇心旺盛な私は、そういう男女の「絡み」を早速絵に描きましたよ(笑)
祖父にもらったわら半紙にデカデカと(笑)R−18レベルのヤツをw
でも、それが「子供は描いちゃイケナイ絵」である事も同時に察知していましたから、描き終えるとクシャクシャに丸めてゴミ箱に捨てていました。
拾い上げて、母が中を見たかどうかまでは私も知らないのですけどね(笑)

中近東や南米、北欧の神話を読みふけり、鬼太郎を読みふけり、母のお絵かきに心躍らせ、オトナのエロシーンを密かに描きながら、私の日々はこうして過ぎていきました。

そして月日は重なり、私も小学校に入学しました。
学校まで4km近い道のりを、毎日スクールバスで往復する日々。
子供ながらにそれは苦痛でもありました。

そんな時間があったら絵を描きたい!
切実な思いがいつも心の隅っこで赤く燃えていました。

小学校の図工の時間は、私にとって、とても奇妙な時間でした。
なにしろ、普段私が描いていた絵とはまったくかけ離れた世界が展開していたからです。
最初は「塗り絵」だったと思います。
塗り絵?
他人が描いた絵の、白い部分を色づけだと?
つまらん・・・

その後、初めて画用紙にクレヨンで絵を描く事に。
何のテーマで描いたのかは思い出せませんが、確か、家にいる私(ぼく)の絵、だったんじゃないかな。

そこで初めて、同級生の絵を見てびっくりしました。

え?なんでそんな絵を描くわけ??

7つかそこらの子供が描く絵って、どれも大体似通っています。

横にした画用紙の上の部分6,7センチを水色で塗る。
画用紙の下の部分10センチを茶色で塗る。
水色の帯の部分に赤く丸い太陽と、白いモクモクした雲を入れる。
水色と茶色で挟まれた、間の白い部分に、△と□で出来た家を真ん中より右寄りに描く。
家とほぼ同じ高さの自分?を家の左隣に描く。
足元にマーガレットかチューリップを描く。
画面の左の方には、空に届くくらいの樹木や、飼い犬、オモチャ、あるいはパパかママ。

私は真っ白い画用紙を前にして、ぐるりと四方を見渡し、多少の違いはあっても、ほぼ同じような絵が描かれつつある状況に、アタマにハテナマークを沢山くっつけて呆然としていました。

なんで空はそんだけなの?真ん中辺の白く抜いてある部分はどうすんの?
なんで家と自分が同じ高さなの?犬小屋じゃあるまいし。
なんで地面は茶色なの?芝生とか舗装とかは?

その頃、私が家で盛んに「お絵かき」していたのは、アイシャドウとつけまつげ、口紅がバッチリ入ってて、髪は長くてクルクルウェーブ、胸や足が露わで、ボディにぴっちり張りついたようなドレスを着た、どこか異国のコールガールみたいなイラストでした。
あるいは、テレビで見て早速まねした芸者や時代劇のお姫様とか腰元(笑)の絵ですよ。
襟元とかもう抜いちゃってすごい絵でしたよ(笑)6つかそこらの子供がそんな絵を描いててどうすんでしょうね。

そして1年生の私は悟りました。
今、私が家で描いている絵は、子供が描いちゃイケナイんだな、と。
ああいうエロが入った絵を描くと先生に怒られるんだな、と。
6歳にして空気を読む事を覚えたのですよ(笑)

私は気を取り直し、周囲の同級生の絵をこっそり盗み見ながら、上部7センチほどの青空と太陽、白い雲を描き、下部10センチの茶色い地面を描き、三角屋根の家を描き、赤いワンピースでおかっぱアタマの「わたし」を描きました。
※ちなみに私は赤いワンピースなど買ってもらってません。

他人に合わせて生きて行く。

今思えば、その後私の生き方に大きく影響した小市民的発想は、ここからスタートしたのかもしれません。

つづく。。