かじかのつぶやき

絵を描き 写真を撮り 本を読み 猫と遊ぶ ときどきお仕事な日々。。。

ラクなのが一番ですよ。(と言う訳で・・・)

ツイッターをやっていると、色んな人がいるなーって、ホント、いっつも思います。

コレコレはこうであって、こうなるから、こうである!

そういう風に論じる方がとても多いんだなと気づいたのは、昨秋の朝ドラが色々物議を醸す内容だったからでしょうね。
俄論者がすごく増えた。

「あのドラマを嫌いな人は、こういう人である」から始まって、
「あのドラマを面白いって思うヤツはこんなヤツに違いないw」だの、
「あの展開は脚本家がこれこれこんなだからこうなった」(賛・否同様に)、
そういう、いわゆる深読みや評論はとても大切だと思います。
が、一方で、私はそう言った「その人にとっての正論」を読むたびに、ドラマ自体がつまらなく思えてきてしまう事も多々ありました。
違う視点から物事を捉える事はとても大事だし、それによって奥深さや隠された意図に気づく事が出来ます。

目からウロコ!な真実を知る事が出来て、そうだったのか!と膝を打ちたくなる事もしばしば。

でも、正直そういうプラス効果ってのは一握りの「正論」で、殆どの意見は読む度に心が冷めて行く気がします。
自分の考えと全く違う意見なら、心が冷める事は普通にあること。他人の意見だと流せばいい。

だけど、同じ方向を向いている人の意見でも、そうした事は起こりますね。

私と同じ意見だったと思うけど、どうしてこんな風に言うのかなぁこの方・・・
そこまで深読みすると何だか熱が冷めちゃうんだよねえ・・・

思うに、私が凄く浅い、ドシロウトな見方しか出来ないからなんでしょうね。きっと。
なので、気がつけば、
この人は私と同意見だと思ってたけど、全く違う見方をしている人だったんだ、と後から気づく。
そう言った「ガッカリ感」を、この春、とても多く感じる事がありました。

ジョークが通じなくて、真っ向から反論されてとまどったり。
ものの見方の他にも、基本的な価値観てのも人の数だけあると痛感しました。

自分と全く同じ価値観で同じ見方・読み方が出来る人なんて多分この世にはいないんでしょう。
似ているだけで、全く違う。
その事に思い至った途端、ひどく孤独になりました(笑)
タイムラインにはこんなに沢山の呟きが並んでるのに、誰1人として私と同じ方向を向いていないのか、と。

でも、それもいいかな。そう思います。
その分、1人ひとりの価値は上がったと思えるから。
海に現れる波の形がどれ1つとっても違うように。
空から落ちてくる雨粒も、みな違う形なのだし。

私はわたし。ひとは、ひと。

ただ、それを全て受け容れられるほど私は人間が大きくないので、ちょっとなぁ・・・と思うツイートはすべて非表示設定にしちゃいました(笑)
あースッキリ(笑)

目に心地好い呟きだけ眺めている事が、一番良い選択とは思えないけれど、少なくとも楽な気持ちでタイムラインを眺められるし、自由に色々と呟けます。

やっぱりラクなのが一番ですよ(笑)