かじかのつぶやき

絵を描き 写真を撮り 本を読み 猫と遊ぶ ときどきお仕事な日々。。。

私ってナニモノ?

小さい頃、ずっと不思議に思っていた事がありました。

私って・・・ナニモノ?
なんで「私」なんだろう?
なんで「○子ちゃん」じゃなく、私なんだろう?
私だけ違う。
お父さんもお母さんも妹も学校の先生も、
「私」じゃない。

私だけ。
地球上に生きている人の中で、私だけが違う。

具体的に説明がつかないのですが、自分だけが他人と違う違和感と孤独感に襲われていました。

今思えば、それは「自分が何者で、何をするためにこの惑星に生まれ出たのか?」と最初に我が身に問うた瞬間だったのです。

人間はそういう思いをどこかで封印して成長していくものなのでしょう。
私も成長するうちに、自分自身を「その他大勢の中の1人である」という認識に改めて、その他大勢の中で平凡に生きる道を選択して来た様に思います。

小学校に入学した時、私は他人との交流が巧く出来ない子供でした。
すぐに誰とでも仲良く出来る子が羨ましかった。
私はなかなか同級生の輪に加われず、いつも独りでぽつんと突っ立ってる様な子供でした。

これではいけない。
この状態がずっと続いたら、6年間もこの学校になど通えない。
子供ゴコロにもそういう危機感があったのでしょう。
なんとかして、コミュニケーションを取らねば、と模索しました。

そして気づいたのです。

絵だ。私には絵がある。

自分自身の事をこんな風に言うのは、とても気が引けるのですが、
私は他人より、ちょっとだけ絵が上手かったのです。

沢山、絵を描きました。
その結果、同級生は私という存在に興味を示してくれました。
「うまーい!!じゃあ、次はコレを描いて!」
「その次はコレ描いて!次はコレ!」

そうやって、次から次へと同級生の要求に応え続けました。

そうする事が、学校内でただ一つの、自分という存在を認めてもらえる手段だったから。
とにかく沢山絵を描きました。
大して好きじゃないキャラクターや、苦手なジャンルの絵にも、子供ながらに果敢に挑戦しました(撃沈も数多く・・・笑)

絵を描く事の動機、と言ったら、大抵の子供ならこう答えるでしょう。
「絵を描くのが楽しいから」「絵が好きだから」

私にとって、小学校時代の絵を描く動機は、

「友達に見捨てられないため」
だったのです。

今までその事を誰にも言えなかった。
そんな不純でつまらない動機で絵を描いていたのを知られたくなかったから。

絵は・・・絵は、
私にとって、「その他大勢」の中に入り込む為の唯一の手段だったのです。

異質な存在にだけはなりたくなかった。仲間はずれのままで居たくなかった。
その為に絵、というか漫画絵を長い事描き続けていたのでした。

いやはや。
私は自分の才能と言うものを全然大切に扱ってこなかったんだなーって、今更ながらに思います。

もっと、別の次元で自分の能力を生かすべきだったのですが、当時はそんな事に気づくほどオトナじゃありません。
6つか7つの子に解る訳がありませんものね。

友達に見捨てられない為の「芸」だった、私のお絵かき能力。

今はただ、自分自身にごめんよぉ・・・と言いたいですわ(;´д`)

話を元に戻します。
私は「自分自身が何者なのか」について、答えを出せないまま中学・高校へと進学しました。

高校3年の時に、進路の事で父親と衝突しました。
私は絵を描きたいので美術学校に進学希望だと両親に伝えたのですが、父は頭からNOの一点張りでした。

「絵でどうやって金を稼ぐんだ?どうやってちゃんとした企業に就職するんだ?漫画みたいな絵を描いてたって、何にもならない。もっと金になる仕事をしろ。美術とかアニメの学校などとんでもない!」

私は何度も泣いて反抗しました。でも、学費を出してもらう都合上、自分の意志を最後まで通せず、結局父の希望に添うカタチで、造園デザインの学校に進学しました。
ここでも、本当に自分の力を生かすべきなのに、他人の希望に合わせてしまうカタチになりました。

悶々とした思いを抱えながらの通学でしたが、造園と言う分野の奥深さを知り、気さくで暖かい同級生にも恵まれて、2年弱のデザイン学校での日々はとても楽しかったです。

が、やはり、自分が求めていたジャンルとはかけ離れた建築・環境の分野。
造園設計事務所でのバイトをしていくうちに、魂の違和感はまたしても大きくなり始めたのでした。

そして・・卒業制作の提出直前での退学。
当時は成人式間近で、私は晴れ着を着て集まったであろう同級生達の事を思い浮かべながら自宅の縁側に仰向けになり、窓から見える雲一つない青空を眺めて、すり減ってしまった心を自分で慰めていました。

後になって、成人式には地元の同窓生がほぼ全員参加した事を知りました。
「どうして来なかったの?みんな来てたのに」同級生達から何度も聞かれました。

ああ。またしても私は浮いてしまったんだな・・・
そう思いました。

進路の事で悩み過ぎて晴れ着を着る気になれなくてねえ・・・と言って説明しましたが、「ホントかねえ?」という顔で怪訝そうに私を見つめる友人達。

ホントなんだってば(笑)

あれから30年近い日々が過ぎ去りました。
その間ずうっと「その他大勢の中の1人」的な生き方を選んできた様に思います。

出しゃばっちゃいけない。目立っちゃいけない。
そんな気持ちが常にありました。
時折度を超えてしまい、完全に浮いてしまった事もあります(笑)

何故そんな話を今になってブログに書こうと思い立ったかと言うと、
ツイッターを通して、スピリチュアルな目覚めを体験した人達と知り合えたからでした。

先日の日曜日、彼等と赤坂の某所で会って、色んな話をする機会に恵まれました。

そこで自分が何者であるか目覚める(知る)事が出来た体験談を聞き、物心ついた頃からオトナになる手前まで、ずっと感じていた違和感・孤独感がふいにわき上がり、癒された様な心地を感じる事が出来たのです。

ああ。私は決して独りじゃなかったんだ。
ワンネス、なのだ。。

それは大げさな言い方をすれば、インナーチャイルドが癒された様な感じでした。
夜になり、地下鉄の駅改札口でハグして別れた後も、心はずっと暖かいもので満たされていました。

みんなに会えて良かった。心からそう思いました。

私自身、彼等の様な目覚めはまだ未体験ですが、時が来れば自然に誰もが気づく事なのだと思います。

その時まで、私は色んな本や動画、出会いと交流を通して、その日に少しでも近づけたらいいなと思っています。

そして、他人に見捨てられない為に描き始めた絵を、もう一度「自分だけのもの」にするべく、キチンと考えて行こう、と思ったのでした。。。