かじかのつぶやき

絵を描き 写真を撮り 本を読み 猫と遊ぶ ときどきお仕事な日々。。。

描いては消し描いては消し

たまには私の描いている絵の事も記事にしてみますね。

私は現在、会社勤めをしながら絵を描く教室で指導もしています。

一つは渋谷区恵比寿某所、もう一つは地元カフェをお借りして。
どちらも、色鉛筆を使った絵の描き方を教えています。

色鉛筆と言うと、
小学校に上がるかその手前頃に出会う「文房具」の一つですね。
実際、お絵かき教室に来られる方の中には、お子さんの使い古しの色鉛筆を持って来られる方も少なからずいらっしゃいます。
24色くらいあれば、最初はそれで十分です。描いて行くうちに、メーカーによって使い心地が大分違う事を知り、紙も単なる画用紙ではなく表面の仕上げが色々異なる水彩紙を使う事に慣れ、いずれは自分用の「画材」としての色鉛筆を入手するようになって行きます。

色鉛筆は100均でも売っています。
都内の有名画材店には、1本が500円くらいする有名メーカーの製品も多数取りそろえてあります。

どれを選べば良いか解らない時は、使い心地などアドバイスはさせて頂きますが、最終的に選ぶのは生徒さん。
買った以上は、短くなるまであれこれ描いて使い込んで頂きたいですね。

私は、教室ではずーっとベラベラ喋っています。
色鉛筆や紙の特性とか、ここではこういう色が向いてるとか、塗り方はこうすると良いとか、生徒さんの所を巡回しながらずーっと立って歩いて喋っていますw

初心者の方が多いのですが、デッサンから始めたら色づけには1年以上かかってしまうかもしれないので、手っ取り早く形を取って彩色し、完成させて、
「あー、私でも案外描けるもんだなー♪」と思って頂く。

途中、私がデッサンや色塗りでお手伝いをしますが、出来るだけ最小限で。

多くの生徒さんが、初めて完成させたご自分の絵に驚き、嬉しくなる様ですね。
私も高校時代に自作の油彩画を初めて額装した時は、なんかもぉ、

気分は画伯。

でした(笑)

でも、そういう良い気分になるって事は、次も描いてみようと言うモチベーションになります。
楽しく描くって、大事ですね。

f:id:nohohonkajika:20170914170315j:plain
私が普段、愛用しているファーバー・カステル「ポリクロモス」です。
自作の絵がはかどらない時や気分転換したい時、私はカッターナイフで色鉛筆の芯を削ります。

鉛筆削り器もいくつか持っていますが、基本はナイフ削り。
芯を長く出して尖らせます。
色鉛筆を正面から見ると、六角形になっています。
丸軸の色鉛筆を六角軸に削り出す。
これを30年以上、続けています。
きっかけは、お茶の水のデザイン学校時代、デッサン担当のM先生に言われた言葉が元になっています。

「鉛筆を削るのはカッターナイフで削りなさい。鉛筆削りなんかで削っちゃダメだ。芯を長く出して、描く事に集中出来るように削り出して、良い線で絵を描きなさい」

私は幼い頃に祖父母から、鋭い小刀で鉛筆を削るのを教わった事があり、カッターナイフで削る事にはすぐに慣れました(3つ4つの幼女に鋭い小刀持たせて鉛筆の削り方教えるとか、サバイバル生存術かw)

確かに、ハンドルを回して削る鉛筆削り器や、鉛筆を差し込んでくるくる回すもので削り出した芯よりもずっと描きやすい。
キレイに削り出すには時間がとてもかかります。
一枚の色鉛筆画を描くのに、制作時間の4割が鉛筆を削る時間になってしまいます。
それでも、M先生が仰った通り、自分の好みの長さに芯を削り出した方が良い線が描ける様に思います。

写真をご覧の通り、結構鋭いので指に芯が刺さって流血した事も(^◇^;)

生徒さんが色鉛筆をどう削るかについては、私は生徒さんが自由に選べば良いと思っています。なにせ刃物を使ってゾリゾリと削るので、強くオススメするのもアレかなー・・・などと考えてしまいますねえ。

ご指導していると、私の方が教えられる事は沢山あります。
昆虫は美しいと思いつつ、自分ではあまり描いた事が無かったのですが、
甲虫や羽根の美しい昆虫を描かれる生徒さんの作品にふれ、改めて虫たちの美しい形に気づかされたりします。
家にある昆虫図鑑を手に取って、イモムシってどうしてこんなに緑鮮やかでビビッドな模様やラインが入っているのだろう?と、この年になって不思議に思ったり。

小さな子供を描く事も、子供を持たなかった私はさほど枚数を描いていないのですが、
お孫さんや姪御さんを描かれる生徒さんを見て、子供の頭蓋骨と大人の頭蓋骨は随分と違う形なんだなーと改めて思い知ったり(笑)←遅いよw

自分自身にも、学びの場なんだなと思います。

描いては消し、描いては消し。
迷っては消し、悩んでは消し。
その連続です。

その先にあるゴールで、
思い通りの作品に仕上がったと喜んで頂けるようにご指導するのが、
私に課せられた使命でしょうか。

マラソンの伴走者にしては、私自身はまだまだ発展途上ですが、
そこはもう口八丁手八丁で←おいおい(@@;)

楽しんで頂ければオッケーかなー♪←適当な・・・

そんな私の絵画教室、気になる方はどうぞご連絡くださいませ☆☆

もうじき秋が。

立秋を過ぎると、
外の空気は真夏そのものだけど、
日差しは心持ち傾いてきたような気がします。

夜7時まで明るかったけど、
最近は7時前に暗くなる。

確実に、秋は近づいているようです。

が!


先日の台風5号が去り際に熱波というお土産を置いてったようで、

暑い!!!!!!

聞いた話によれば、脳は暑さに弱いそうな。
冬の寒さには耐性があるようだけど、酷暑には弱いとか。
常々、人は真夏と真冬、どちらがよりダメージを受けるんだろうと考えていましたが、
どうも暑い方がダメっぽい。ふむ。。。

f:id:nohohonkajika:20170808104602j:plain
台風が行っちゃった後の空って、空気が澄んでいてクリアで青と白が際立つ・・・

んで、そんな熱風こもるミヤコのギャラリーに、先日行って参りました。

今から20年近く前、
ル・クプルと言うメーリングリストがあって、メンバーだった私は今も数人の仲間と交流が続いています。

メーリングリストって今もあるのでしょうか。
1998年頃はTwittermixiFacebookも未だ無かったから、BBSと言う掲示板やフォーラム、メーリングリスト等でのネット交流が盛んでした。
私も当時は携帯電話も持ってなくて、買ったばかりのPowerMac5500を【ピ~~ヒョロロ~~←とんびではない】な、ダイアルアップ接続で繋ぎ、カタツムリみたいなゆっくり速度であれこれ書き込んだりメールの送受信をしていたものです。

ハンドルネームを使った交流ですから、今より匿名性も高かったですね。
実際に会おうとなったら、それはオンラインではない、オフライン・ミーティング(通称・オフ会)。
ドキドキしながら集合場所に向かったもんですよ(笑)楽しかったなぁ。

で、今ではリアル友人になったメーリングリスト仲間が都内ギャラリーで絵を展示しているので、鑑賞して参りましたよ。

普段、他人の作品をあまり観ない私には、とても刺激になりました。
出品メンバーの人となりが伝わってくるような作品ばかりで、とても面白い。
色彩感覚、構図、絵の中に顕れるモチーフの使いよう・・・そこには個々の作家が積み重ねてきたキャリアと心の中のドラマがにじみ出ていて、

絵は本当に「人」が出るなぁ・・・と、つくづく思いました。

と言いつつ、私の描く絵は描写が細かいので、私自身も几帳面で繊細な人物と言うイメージをもたれがちですが、実際の私はおおざっぱで適当で、細かい物事や人が大嫌いな性分だったりします(笑)

メーリングリストのお友達が描いた作品は、絵の中に光りが灯っているようで、
穏やかで優しくて華やか。美しい作品でした。
美大出身だけあって、色彩感覚がずば抜けている方。
彩度・明度を考えた配色が際立っておりましたよ。

また来年も鑑賞したいわー!(≧∀≦)

名残惜しいけれど、友と別れて、午後は鍼灸院。

電車を乗り換えて二子玉川へ。
どこへ行っても・・・


暑い!!!!!!

ビルが多い分、日陰も多いビジネス街と違って、住宅街が広がるニコタマは日陰が少ない様に思います。
アスファルトの照り返しと熱風によろけつつ、鍼灸院を目指す。

目的地までの道中、昔ながらの趣深い民家が建ち並んでいたのですが、先日通ったらもう家屋はとうになくて、コインパーキングと更地になっていました。

更地には、家がある時には決して生えていなかったメヒシバやエノコログサ、イノコヅチなどの雑草が生い茂っていました。

雑草・・・たくましいなあ。

鍼灸院終了後は、駅そばにあるライズドッグウッドプラザ7階のインド料理レストラン「MOTI」へ。

f:id:nohohonkajika:20170808151830j:plain
暑い日はカレーに限りますね皆様!え?違う?

ほうれん草とチキンのカレー、ぱっと見は少なめに見えましたが、これが濃厚で減らないw
ワタシ的には2人前相当のボリュームを感じました(^◇^;)
ちゃんと完食いたしましたよ。大変美味しゅうございました!また食べに来ようと思います(実は2度目)。

窓際の席に腰を下ろし、ガラス越しの下界を見下ろせば、車の列と高島屋

f:id:nohohonkajika:20170808151205j:plain
普段、林道を走ってばかりいると、こういう都会の道路は正直、どこをどう走っていいのか解らなくてオロオロしてしまいそうだ・・・(;´Д`)

1階にあるスパイラルマーケットで見かけた急須がとても気に入って、買おうと思いつつも、ニコタマから地元までの長い道のり、佇まいが上品なワレモノを持ち帰るには、今日はちょっとエネルギー不足だと思い、断念(笑) 
いつか元気がある時に買うぞ!

*************************************************************************************

SNSで様々な人達と交流していると、
目の前にその相手はいないのに、
リアル交流よりも神経を遣って疲れてしまう事はありますね。

気軽に発せられた言葉を、違う意味で捉えてしまう事も。
どう感じるかは、相手のせいではなく自分の感じ方次第。

私も含めて、多くの人がついネガティブ的意味に捉えてしまいがちなんでしょうね。

子供の頃の笑い話に、こんなのがありました。

男「おまえの足は大根みたいだな(つまり太い)」
女「あら嬉しいわ♪そんなに白いかしら♪」
男「じゃあ、おまえの足はゴボウだな(泥だらけ、つまり黒い)」
女「まぁ嬉しい♪そんなに細いかしら♪」

要はとらえ方次第。
ポジティブに捉える癖がつけば、世の中は今よりずっと明るい。

そして、相手のご機嫌を取らない。
自分のご機嫌が優先。

傷つけても構わない、と言う意味じゃなく、他人の為に自分を蔑ろにしてはダメと言う意味。

それに、
自分がご機嫌ならば、他人に優しくなれます。
他人を傷つけたり、毒を吐く人ってのは、大抵が傷ついた心の持ち主。
まずは、自分の心の持ちようを変えていけば、関わる世界も変わって来ます。

他人は変えられないけれど、自分は変えられますから。


とまぁ、そうは言っても、時には凹むし嫌になる事・疲れる事もありますね。

そんな時は距離を置く。

弓矢が飛んでこない所まで避難します←戦国かw
フォロー解除や友達解除は、最終手段ね。

*************************************************************************************

「残暑」と言う呼び方がまったくもってしっくり来ない今日この頃ですが、
秋は案外あっという間に隣にやってきて腰を下ろすかもしれませんね。

「お・ま・た・せ♪」とか言いながら←言わないだろw

久々の上野

先月の話になってしまいますが、
上野に行って来ました。

絵画教室のお仲間であるHさん(御年88歳)が公募展に出品されていて招待券も頂いたので、久々に上野公園をテクテク歩こう、と思いまして。

f:id:nohohonkajika:20170627114222j:plain
梅雨どきの重たく湿っぽい曇り空の下、何かイベント施設の建設中だった上野公園。

f:id:nohohonkajika:20170627103218j:plain

目指した展覧会は、大正時代に女性達で創設された、女性の為の公募団体が主催。
飾られた絵のひとつひとつが女性らしい華やかさと繊細さ、美しさに満ちていて、

ああ。私ももっと頑張ろう。

と言う気持ちを温かく育ててくれます。展覧会によっては「描かないと!」と焦る気持ちばかりが湧いてくる会場もありますが、ここは優しく背中を押されるような感覚で、会場にいるだけで和んできます。

あちこち歩いているうちに、
Hさんの絵を発見!
画像は掲載しませんが、暖かさと繊細さ、光が満ちた美しいパステル画でした。
しばらく眺めていたら、聞き覚えのある声が近づいて来ました。

ん・・・?あの声、姿は・・・・・・・

なんと!
ご本人のHさんがご親族の方々と会場に来られたのです。
私はワクワクしながらHさんに近づき、声をかけたら、
「まああ!!」と驚かれて優しいハグ。

Hさんにお目にかかると、いつも感じるのは、

自分はまだまだ。描いた!と思うところまで、描いてないなあ。

と言う思い。

30歳以上も年が離れていると、積み重ねた日々の重さに我が身の不勉強と未熟さを思い知ります。

26年前、初めて恵比寿のアトリエを訪れた時、たった1人でイーゼルを立てて絵を描く準備をされていたご婦人と遭遇しました。
それが、Hさんでした。

「あなたは恵比寿のアトリエで、私の次に古い生徒さんよ」と笑うHさん。
もう四半世紀以上も前の事だなんて。そんなに長く恵比寿のアトリエに関わる事になるとは、しかも、教える側に立つ事になるとは、全く思いもよりませんでした。

私も、Hさんが出品される公募団体に一度だけ応募して入選した事があります。

公募団体が何をするところかも全く知らず、
審査とか展覧会とか「ナニソレオイシイの」状態で応募したら・・・・・・・・・

・・・・・・・・・入選しちゃった( ̄▽ ̄;)

その後は他団体の公募展に出品し、賞をいくつか頂いてそちらの団体の会員になりましたが、フリーの立場で居る方を選び、退会。

公募展に出品する事はなくなったけど、自分の腕試しも兼ねて、またどこかの公募展に一般公募から初めて見ようかなあ・・・(*^ω^*)

会場を出ると、なにやら工事中の塀が楽しい(笑)

f:id:nohohonkajika:20170627113028j:plain

最初、子供の落書きだと思ってたら工事中の安全看板だったw

パンダは子パンダ誕生で話題になっていましたが、
平日の昼間だと入園者はそれほど多くなさそうな雰囲気。
いつか時間に余裕がある時に来よう。。

f:id:nohohonkajika:20170710123904j:plain
上野公園の真ん中にある、道案内も兼ねた時計。
外国人観光客が見上げて写真を撮っています。
じゃあ、日本人も撮っておこうかな(笑)

f:id:nohohonkajika:20170627114330j:plain
ラジオ体操ひろばの碑。
上野公園は何度も歩いたけれど、こんなのがあるなんて知らなかったわさ。
ラジオ体操と言うと思い出すのは、夏休み。
6時半からNHKラジオ放送で始まるラジオ体操の生放送番組を聴きながら、
半分眠った状態で手足を動かしていたっけ(笑)

f:id:nohohonkajika:20170710124346j:plain
お腹も空いてきたので、どこかでお昼を・・・
池袋まで帰ってから、と思いましたが、せっかく上野に来たんだから、上野にあるお店が良いよね。
でも、どこが良いかなあ・・・
グルメじゃないし、お店情報にも疎い私。あちこち歩いて探しても見つけられそうにないので、上野駅の改札をくぐった先にあるecute上野へ。
たいめいけん」の名に惹かれて、初オムライス。美味しかったです☆☆

久々の上野は、相変わらずの上野でした(笑)
様々な国の人が集う街。
東北方面の玄関口になっているせいか、駅にいると北国の風を感じます。

どこか懐かしくて、暖かくて、でもそれはどこにでもある感覚じゃなくて、
上野に行かないと感じられない、古い記憶が甦ってくるような感じ。

f:id:nohohonkajika:20170627115016j:plain

上野駅公園口改札の柱に貼られた、パンダ駅長のポスター。
可愛い(笑)
人寄せパンダとは良く言ったものだわ(笑)




生きていると、
様々な出来事に出くわすし、
ニュースはネガティブな出来事に溢れ、
辛い目に遭っている人達の境遇を思って心を痛め、
ふがいない政治家のふがいない失言妄言暴言に怒り呆れ、
今も地球のどこかで火薬が爆発し、
沢山のいたいけな命が失われ、
生き物の住処は徐々に狭まって、
お金の為に取引きされる命と魂。
消えて行く愛と新たに生まれる愛。
永遠の別れもあれば、新しい出会いもあるし、
繋いだ手は離れたまま、再び結び合う事を求めるも、
永遠に喪われたまま終わる日々もあって。

そんな、混沌とした中で我々は生きている訳ですが、

今この一瞬は今だけ、であって、もう取り戻せないんだなと思ったら、
もっとやるべき事はいくらでもあるんだろうな。
それは何なのか、よく解らないけれど、ただ目の前にある事をこなして行く中で、
きっと見つけられるんじゃないかな・・・・・・

などとツラツラ考えながら、
展示された絵を眺めた、少し肌寒い日の上野の1日でした。

おわり。

手書きの楽しみ

日記を書かなくなって大分経ちます。
手帳にも書かなくなって来ました。
昔はキチンキチンと日々の事を書き綴っていたものです(遠い目)
今では毎年11月頃に翌年の新しい手帳が出回る頃になると、一応手に取って

(よし、来年はきっちり文字を書き込もう。手書き文字でページを真っ黒にしてみよう!)

・・・と、決意だけはするのです。決意だけはね。

ここ10年くらいは、2月の第一週、最短だと1月の第一週で書き込みは途絶え、後は真っ白いページのまま1年が終わる・・・

そんな無駄の繰り返しです。

一番書き込んでいたのは、2006年から2007年。
毎日毎日、モレスキンのノートにびっしり書き込んでいました。
日によっては3頁にもわたって綴っていました。

なにゆえその時期だけ書きまくりだったかと言うと、
その時の私は、難病の潰瘍性大腸炎(UC)が再燃・悪化して、日々を這いつくばるようにして生きていた時期でした。
きつい食事制限と絶え間なく襲ってくる腹痛・下痢・下血にのたうち回り、それでも仕事には出かけて行き、やっとの思いで業務をこなし、ハンドルにしがみつくようにして自宅と職場を往復し、今思えば、ホントあたしよく頑張ったよなぁとしみじみ思います。

そんな必死な状況で、何を食べたか、どんな痛みがあったか、トイレに何回行ったか、出血はあったか、などなど、事細かに日々の状況を書き込んでいたのです。
通常の書き込みは黒で、辛い時は赤、順調な時は青、いつもと違う出来事は緑、と言う具合に4色のゲルインクボールペン(普通の油性ボールペンだと、当時体力が落ちていて筆圧が普段から弱めの私には記入しづらかったのです)で、モレスキンの方眼ページに細かく細かく書き綴って行きました。

そんなメモ魔な私も、
体調が回復するにつれて書き込みは次第に減っていき、UCが緩解(完治ではなく症状が治まった状態)すると書き込みはパタッと止まりました。

人と言うのは、なにがしか心身に抱えるものが無いと、

書くネタが無い→書かない

※有り難い事に、私の難病はその後、漢方薬が劇的に効果を現して、今ではすっかり症状も消えて緩解状態を維持しています。もはや完治と言っても良い位にまで改善されたので、昨年夏には特定疾患(国が指定する難病)の医療給付に関する更新を止めました※

私が手帳や日記を書かなくなったもう一つの原因として、ブログやSNSがあります。

パソコンやスマートフォンから日々発信しているうちに、手帳を持ち歩かずともスマホがあれば用は足りるし、日記もブログに書いてしまえば、手書きせずともいいかな、と。

そうやって何年も手帳を買っては無駄にして来た私ですが、
先日、とある文房具売り場で、あるノートに釘付けになりました。

f:id:nohohonkajika:20170614095449j:plain
満寿屋オリジナルノート「MONOKAKI」です。
表紙は越前和紙の羽二重紙、
デザインは切り絵作家の高木亮さんの作。
大きさはA5とB5があって、これは小さい方。
ページは無罫と9mm横罫があって、これは横罫。
大学ノートの普通横罫Aが7mmだから9mmは結構広く感じる。
ページ数は160。ノートの厚さも9mm位。

惹きつけられたのはデザインもさることながら、この厚み!
学生が普段使う大学ノートの倍はあるんじゃないかな。

これを見たら、なんかね、
手書き魂が再燃!!!
書かねば!!!

お値段、千円超え・・・上のサイズだと単行本レベルのお値段だからちょっと躊躇したけど、やっぱり一目見たワクワク感に従って、レジへ・・・

帰宅後、早速広げてみました。
万年筆のインクも入れ替え、淡いクリーム色の紙面を見ていたら、手が動き出しました。

ツラツラと日々の事を紡ぎ始める右手。
心で思っても、口には出せないあれこれ。
人に読ませるものでもないので、かしこまった文字ではなく、丸いくせ字が並んだけど。

一文字一文字、黒インクが並んで行くのを見つめながら、あふれ出す言葉が紙の上に現れる。

はああ~~

やっぱ手で書くって良いわーーー・*:.。☆..。.(´∀`人)

思えば、
幼い頃に買って貰った日記帳に、毎日毎日、イラストも交えてあらゆる事を書いていたっけ。
好きなアニメキャラの事やらテストの出来やら失敗して辛かった事やら嬉しかった事やら・・・
書く事で、恥ずかしい気持ちや悲しい気持ちが薄らいで行く事に気づき、
私は誰かに話すよりも、日記などに書く事で自分自身を励まし、癒やすようになって行ったんだっけ。

片思いだった先輩への想いも綴ったっけな(笑)そりゃもぉ膨大な量で(笑)
 ※あとで誰かに見られたら一大事なので焼却処分いたしましたよw

忘れかけていた手書きの楽しみを、このノートのおかげで思い出しました。

ブログやSNSでは言いにくい事や、自分自身が何者なのかを確認する意味での日々の思い、そして、

もう手渡す事のない、遠ざかってしまった友人知人への最後の手紙。

そういう文章を、のんびり綴って行こうと思っております。

使ってみたいなと思った方は、こちらを参照↓↓↓

www.asakusa-masuya.co.jp

100通りの生き方

 Facebookをダラダラ流し見していたら、こんな記事に出会いました。

www.huffingtonpost.jp

今どきでも、表題の様に思う人はいらっしゃるのですか-。
人間は長い年月を積み重ねて行くうちに少しずつ変わっていくものだと思っていましたが、案外根強く残る考え方はあるんですねえ。

私が結婚したばかりの頃は、この価値観が当たり前だったのもあって、毎日毎日、

「2世はどう?」(多数の友人知人より)
「2人で遊んでないでそろそろ子供作らないと高齢になると大変だよ」
「子供出来ましたか?え!まだ?」(同世代の子育て中女性に言われた)
「普通ならもう出来てないとだよね」(同上)
「まだ出来ないのはおかしいよね」(親世代のベテラン主婦数名より)
「跡継ぎ産むのが嫁の仕事だよ」(職場の取引先社長様より)
「女はお産をして一人前」(高齢ベテラン主婦数名より)
「手伝ってやろうか?」(地元のオジサマ複数からのお言葉)
「親は孫の顔が見たいもんだよ」(地元オジサマ達より)
「早く産んで親を安心させてやりなよ」(同上)
「病院行った方が良いね」(先輩主婦達より)
「うちは結婚して半年で出来たけどね」(同年代男性諸氏より)
「仕事ばかりしてると出来ないぜ」(地元先輩ご亭主連より)
「早く〇ちゃん(ご亭主の愛称)をパパにしてやれよ」(同上)
「犬飼うより子供だよ子供!(シェパード飼ったばかりの頃)」(同上)

・・・などなど、もー様々な「助言」を頂きました。
皆様、色々ご心配をおかけいたしましたね。
皆さんの「自分の価値観から出た善意」によっての「助言」ゆえ、
皆さんには「悪気」ってのが1つも無い事は私もよく解っておりました。

が、
この言葉1つひとつが、当時は鋭い槍となって私の心にグサグサ刺さり、血が流れ出していた事は、だーれも知らない。

結婚して20年以上が過ぎると、こんな風に書き出したところで、私にとっては遠い過去の出来事であって、何の感情も湧いてきません。

あー、こんな事も言われたっけねー、ぐらいの感じです。
もっと色々言われていたと思いますが、忘れた事も多く、それでも思い出すとこのくらいは心の隅っこに「記録」としてだけ残っています。

「善意の皆様」の心配をよそに、私は今日も能天気に生きています。
産まない選択をした事は、間違った事じゃないと思っています。
だって、私はとても幸せだから。

もちろん、子供を産むと言うことは、女性にとって大きな幸せのひとつです。
胎内に命を宿し育み、産み出す事は女性に与えられた神聖な作業であり、ある意味で神に通じる大切なお役目です。

母となった女性は美しい。
ネット上でたまにそういう画像を見かけますが、まさに聖母ですね。
子育ての苦労は多々あると思いますが、それ以上に幸せを沢山受け取られているはず。
素晴らしいなぁと思いますよー。

地球に天使が舞い降りた。
赤ちゃんの無垢な寝顔はそんな風に思えます。
我が子を胸に抱き、乳を与える喜びと幸せは、母親にしか味わえない事でしょうね。

そう思う一方で、
結婚と出産は、女性が生きて行く中で選ぶ選択肢のひとつであり、全てではありません。

幸せのかたちは、人それぞれ。
女性が100人いれば100通りの生き方があって、どれを選ぶかは本人次第。

私の周囲にもシングルライフを謳歌している素敵な女性が沢山いらっしゃいます。
笑顔が素敵で若々しい。ちょっと羨ましいです(笑)

こんな事を書くと必ず、


「そういう考え方をする人が増えるから日本は少子化が止まらないんだ」と
言う方が少なからずいらっしゃいますね。

女性が結婚せず、結婚しても子供を産まないと、子供が増えないと、

日本はダメになってしまう!
・・・と言い切る方にも遭遇して、ちょっとビビったw

それよりも、
女性が結婚しなくても、
子供を沢山産まなくても、
子供が今より増えなくても、
大丈夫な社会を作る方が良さそうな気がしますが、

そういう考えは誰も持たないのかなぁ。
まぁ、困難ではあるでしょうけど。

女性が元気な国は、国そのものも元気だそうです。

古い価値観に翻弄されて涙を落とす女性が少しでも減って欲しい。
そういう思いから、↑の記事は心から共感出来ました。
自分らしい生き方を、女性の誰もが選択出来る世の中でありますように☆

久しぶりに、今日は産まない選択をした自分の事を振り返って見ました。
さあ、明日からまた前を向いて歩こう♪♪

新しきつながり。

今年の2月に、
気心知れた仲間達総勢12名と私達夫婦で、三峯神社に参拝して来ました。

きっかけは、

加とさんと私が今年の元旦に、なんと6時間かけて初詣のお参りをした話を、ブログで書いたり実際に話したりした事で、

「お参りしてみたいね!」

と言う思いが仲間内でフツフツと湧いて来たからです。

土日と1日は混むと思い、平日の昼間に決行。
元旦の大混雑が嘘の様な空き空きぶり(笑)
つくづく日本人てのは・・・と、我が身を振り返りつつ、色々思う事もありましたw

神様に手を合わせ祈る時の正式な作法や、神社の由来や祀られた神様についての知識は、正直それほど詳しい訳でもないし、特に知ろうとか学ぼうと言う気持ちも持ち合わせていない、まっさらな状態で向かった拝殿で、目を閉じた私の頭の隅っこでは

「寒いなか遠くからよく来たね」

と言う暖かさを感じるメッセージが小さく点滅していました。

それから3ヶ月。

参拝したメンバーの中には、人間関係や家庭内の様々な事で明らかな「変化」が起こり、それは縁切り効果であったり縁結び効果であったり、それまで変わらないままだと思っていたことが確実に動き出している様です。

かくいう私も、
参拝の2週間後に橋から落ちて肋骨骨折( ̄▽ ̄;)
全治3週間と言われましたが、落下した時に肋間筋も傷めていた様で、まだ時々折れた部分の周囲がチクチクと痛むので、結局5月いっぱいは接骨院通いが続き、全治3ヶ月という「大怪我」となりました。

骨を折る、と言う事は、変容の前触れだとも言われますが、一体どんな現象が私を待っているのでしょうか?良くも悪くも、変わって行く事は受け入れようと思います。

三峯神社に参拝するようになって、多分8年くらいになると思いますが、
その間に切れた縁は数知れず・・・縁切り効果は抜群て事でw

嫌われたり、嫌ったり、その時々で「切れ方」は色々でしたが、そのどれもが「今までありがとう」と、今なら言える。(言う機会は永遠に無さそうですが・笑)

 

そして、
この8年で新たに繋がったご縁も沢山あって、これまた縁結び効果も絶大ですね。

どちらにしても、自分の人生に深く関わってくれた方々ですから、気づきをありがとう、とお伝え出来たらなと思う今日この頃です。

今週木曜日は6月の1日。
またきっと、神社までの曲がりくねった山道は、沢山の車で埋め尽くされるのでしょうね。

すっきりと、身も心も浄めたいと思ったら、

www.mitsuminejinja.or.jp

きっと、気づく事が、ある。

昔は「友達」だったのにね~

前回の投稿で、
 ずっと観よう観ようと思って居るうちに、
  映画ってのは上映が終了してしまう事はよくあります」

と書きました。
まだ上映続けるだろうな、と思い込んでいる作品に限って、
気がつけば終了間近だったりします。

そうならないうちに見ておかないと!

と言う訳で、今回も映画ネタです。

今回見て来た映画はコチラ↓↓↓


映画『キングコング:髑髏島の巨神』予告編

キングコングと言ったら、
私の様な昭和半ば生まれが最初に見たのはアニメだったと思います。

夏休みが始まると、午前中は宿題も外遊びもせずにテレビにかじりついていました。

「夏休み子供劇場」とか「夏休みマンガ大会」等の名が付いた、子供向け番組が放映されるのです。

実写では「悪魔くん」「河童の三平」「ジャイアント・ロボ」などを観た記憶があります。
アニメは当時「テレビマンガ」と呼ばれていて、
アメリカのテレビアニメや国産アニメの再放映でした。

その中にあったのが「キングコング」でした。

アニメのキングコングは、人間の味方でした。
子供たちと仲良しで、悪い奴らをこらしめ、困っている人を助ける親切で優しい巨大なゴリラでした。

♪♪キング~コングは友達さ♪♪
藤田淑子さんが唄う主題歌は「友達」だと言ってますね。

でも、本当は、
見世物にされてNYに連れてこられ、金髪美女を人質にして、エンパイアステートビルをよじ登った末に攻撃されて墜落し、あえなく死亡、と言う切ない物語だって事を知ったのは、大分後になってからです。

今、キングコング、と言うとお笑い芸人コンビの方が有名かもしれませんねw


なので、今更キングコング?と、期待度は低かったのですが、
鑑賞した人の好評価率が高いと解ると何だか見に行きたくなりますw

映画を観るにしても、本を読むにしても、
他人の評価で選ぶ事に違和感を持ちつつも、やはり参考にはしています。

面白かった!! と言う人が多ければ多いほど観たくなる自分を少し嗤いつつも、
GW中のある晩に鑑賞決行です。

トーリーを簡単に説明いたしますと、
ベトナム戦争が米軍の完全撤退によって終わりを告げた1973年。
アメリカの特務研究機関「モナーク」の工作員、ランダと若き地質学者ブルックスが、ランドサット(地球観測衛星)が撮影した地図に無い島の調査隊を編成する事になった。

未開の地へ向かう輸送部隊はベトナムで本国帰還を待つ空軍のヘリ部隊が招集され、
ランダとブルックスは、サイゴンの夜の街で元SAS(イギリス陸軍特殊空挺部隊)の大尉、コンラッドと接触、調査チームのリーダーを引き受けるよう要請する。
コンラッドは危険が伴う仕事だからと高いギャラを要求したが、ランダとブルックスも容認した事から、リーダーになる事を承諾した。

更に調査チームには戦場で写真を撮り続ける女性カメラマンのウィーバー、ランドサットから派遣された科学者も加わって、謎の島「髑髏島」に調査隊のヘリは飛び立った。

調査団は島の上空からサイズミックを投下して爆破させ、地質を調べるのだが、そのさなかにヘリコプターが次々と巨大なサル?に襲われ墜落、爆発・炎上する。
パニックに陥る調査隊。かろうじて生き延びた数名もちりぢりになってしまい、音信不通。

アメリカ空軍のヘリ部隊を指揮していたパッカード大佐は、部下を目の前で殺された怒りに燃え、復讐を誓う。
調査隊のリーダー、コンラッドウィーバーも、墜落したヘリから何とか脱出し、生き残った僅かな兵士と共に島を移動し始める。
やがて彼らは島に生きる部族や、太平洋戦争で島に不時着し、以来28年間も密林で生きながらえたマーロウ中尉と出会い、巨大なサル【キングコング】が島の守り神である事、他に凶悪な巨大生物がいて生命を脅かされるも【キングコング】が島民を守っている事を知り、何とかして他に生き残った仲間と合流して島を脱出する為に動き出す。

島で破壊行動をしなければ、穏やかで知能の高い「キングコング」。
傷だらけになりながら、どう猛な巨大モンスター・スカルクローラーと戦い、島の平穏を守ろうとする【キングコング】の姿に、コンラッドウィーバーは畏敬の念を抱くようになるが、殺された部下の復讐に燃えるパッカードは、ありったけの武器弾薬をつぎ込んでコングを倒そうと画策するのだった・・・

怖そうで実は優しい、と言う設定は、目新しさは無くともやはりツボです。

CGとは言え、腕を振り回して片っ端からヘリを潰して行くコングの凶暴ぶりは恐ろしく、それが実は穏やかなヤツだなんて、ちょっと胸きゅんなのだ(笑)

監督は日本のアニメに強い愛着があるそうで、
太平洋戦争でマーロウと共に生き残った日本兵の名字が「イカリ」。
言わずもがな、新世紀エヴァンゲリオンの主人公、碇シンジの名字だし、
中国人生物学者の名前が「サン」で、これは宮崎駿監督作品「もののけ姫」のヒロインと同名。
キングコング】と死闘を繰り広げるスカル・クローラーは、前述のエヴァンゲリオンに登場する使徒「サキエル」と宮崎アニメ「千と千尋の神隠し」のカオナシをモデルに創り出されたキャラだそう。
(でも、私と加とさんは、サキエルと言うより同じくエヴァに登場した「量産型エヴァ」を想起させるデザインだったと思っているんだけどね)

他にも、
夕日に向かって飛ぶヘリはF・コッポラ監督の「地獄の黙示録」へのオマージュ。

コングを倒す執念に取り憑かれたパッカードはサミュエル・L・ジャクソンが演じているのだけど、この方・・・顔がとってもコングに似てる(笑)
それを狙ったキャストなのかなぁ。迫真の場面でも似てるもんだからついつい笑ってしまったよww

調査隊のリーダーでイギリス軍特殊部隊の大尉だったコンラッドは、イギリス人のトム・ヒドルストンが演じていて、これがなかなかクールなイケメン。
無益な殺し合いは自然を破壊し、更なる悲劇につながる事を誰よりも解っているから全力でパッカードを止めようとするんだけど、パッカードには通じない・・・


この映画、エンドロールの後に続編がある事を予告する様なエンディング映像があるので、エンドロールで席を立たないように☆

それがまた・・・日本人なら「あああ~~~ww」と笑ってしまうような、オマケ映像と効果音なのですよ(笑)
  巨大な我とか、頭が3つある生き物とか、二足歩行の爬虫類型生き物とかね(笑)

いやー、面白かった!
4DX3D版で観たかった!(座席が振動したり水しぶきが飛んだり、光ったり煙が出たりするアレです)
もう1回観たいなーと思ったくらいです。
去年「シン・ゴジラ」を観て楽しめた人ならきっと面白いはず(多分)
気になったら映画館へGO!!


・・・って、

調べたら、殆どの映画館が12日で上映終了ですってよ!!

えーっっ!!!Σ( ̄□ ̄;)