かじかのつぶやき

絵を描き 写真を撮り 本を読み 猫と遊ぶ ときどきお仕事な日々。。。

音楽はともだち。

お題「好きなサウンドトラック」

音楽の趣味くらい、コロコロ変わるものはございませんよ。

ロック大好きな時期もあったし、
クラシックCDなど買い揃えて聴いてた事もありました。
かと思えばアニソン三昧
イージーリスニングのCDも何枚買った事か。

528MHzのメロディ、
シンギングボウル、
音叉、
その他色々な楽器の音を堪能しました。


んでもって、今毎日毎日ヘビロテしているのが、 

 もうね、テンション上がりますよ(笑)
これは2015年邦画興収第一位となり、細田守監督最大のヒット作品。

車を運転するとき、
仕事してるとき、
歩いているとき、

常に聴いてる。聴き過ぎだw

この夏は新海誠監督の「君の名は。」が大ヒットして記録を次々塗り替えていますね。

新海さんの作品もずっと以前から大好きだったけど、
私は細田守作品の方が好きだなぁ。


「バケモノの子」予告2

 

一番好きなのは、サマーウォーズ。 

サマーウォーズ オリジナル・サウンドトラック

サマーウォーズ オリジナル・サウンドトラック

 

 これはもう、何回観た事か。Blu-rayDisc買って繰り返し繰り返し見ています。
何度観ても同じところで笑い、同じところでしんみりする・・・


「サマーウォーズ」 劇場用予告

10代20代の頃は、片っ端からアニメを観ていたので、色んなサウンドトラック盤を買い集めました。
一番初めに買ったのは、宇宙戦艦ヤマトの交響組曲。 

交響組曲 宇宙戦艦ヤマト Symphonic Suite Yamato

交響組曲 宇宙戦艦ヤマト Symphonic Suite Yamato

 

 アニメのBGMがクラシック音楽の様に編曲される事にまず驚いた私。


買ったのは1977年。当時はLPレコードだったので、そりゃもぉ擦り切れるほど聴いたもんですよ。今でもメロディは覚えています。懐かしい・・・

そして・・・時代の流れですね。
ガンダムも買いました。
イデオンも買いました。
というか、
日本サンライズ(当時)のアニメ作品のサントラ盤は端から買いました。

さらに・・・ジブリ関連のサントラ盤も買いました。
ナウシカラピュタもののけ姫・・・

まーアタシってば何枚買ったのかしらね。

サントラ盤以外にも、洋楽にかぶれてた頃はこんなのも買ったわね。 

シャウト+7

シャウト+7

 

カート・スミスに恋い焦がれて、

自分で耳にピアス穴開けた85年の真夏←思い切り化膿した・・・

Some Great Reward

Some Great Reward

 

 アラン・ワイルダーの瞳が美しすぎてすっかり参ってしまった86年冬。 

スポーツ (30周年記念エディション)

スポーツ (30周年記念エディション)

 

 その頃、洋画も大好きで端から見まくり、バック・トゥ・ザ・フューチャーの主題歌が滅茶苦茶気に入って毎日聴いてた80・・・何年だったかな?

 映画音楽は色々聴いたなあ・・・

「刑事ジョン・ブック/目撃者」オリジナル・サウンドトラック

「刑事ジョン・ブック/目撃者」オリジナル・サウンドトラック

 

スター・ウォーズをあまり観た事がない私は、
この作品でハリソン・フォードにすっかり惚れ込みました。
刑事役が格好良かった!モーリス・ジャールの音楽も素晴らしいのよ。。。

「モスキート・コースト」でハリソン・フォードの息子役を演じたのが、
キアヌ・リーブスの大親友だった、今は亡きリバー・フェニックス
その彼の、子役時代の代表作と言えば・・・↓ 

スタンド・バイ・ミー

スタンド・バイ・ミー

 

 この映画のサントラ盤は、50年代のアメリカでヒットしたナンバーがズラッと収められていて、古き良き時代のアメリカを知る事が出来ます。
ロリポップ」とか、リアルでは知らないけれど良い曲だわね。

 



と言う訳で、
とりあえず、今この記事はこれを聴きながら書いています。 

 映画のラストを思うと切ない・・・

さて、次にハマるのは一体どんな音楽かなぁ。

そろそろ始めますか・・・

万年筆に、インクも補充したしね。

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年賀状を出す相手が少しずつ変わって行きます。

最初は同級生オンリーで、
オトナ社会に馴染んで来ると年上の友人知人も増え、
逆にそれほど仲良しじゃなかった同級生には書かなくなり、

職場関係、
趣味の仲間、
新たにご縁を結んだ友、
ネットで知り合ったみんな、
地域で交流した方々・・・

住所録に書き込んだ名前は増えたり減ったりしながら、
毎年バージョンアップして行きます。

もう、この先の人生で、
年賀状はもちろんのこと、 会って話す事も、手紙を書く事も、メールする事も、
二度とないであろう人達の名前と住所と電話番号、メールアドレスを消していく作業。


それは一抹の寂しさを感じつつ、どこかですっきりしているのも事実。

一方で、
別に消さなくても良いかな、残しておこうかな・・・
そう思って、縁が切れたけど住所録に名前を残した人達もいくらか居るけれど、
その後、交流が復活する事は殆どない。

そしていつか、住所録から消していく事になります。



甲殻類を飼育していると、
時折、水槽内に脱ぎ捨てた殻が落ちているのを目にします。
触覚から足先の細かいところまでそっくりキレイに脱皮するので、死体と間違えてショックだった事もありますが、よく見れば外殻部分のみで胴体の重い部分は残っていない。

住所録のバージョンアップは、脱皮にも似ている気がします。

昔の私よ、さようなら。
新しくなった私よ、こんにちは。
そんな感じ。

そんな中でも、
会う事は殆ど無くても、
何十年も年賀状のやり取りだけは続いている友人達に、
心からありがとう、と言いたいです。

年末には、必ず私の事を思い出してくれる訳だし。
私も、いつも一緒だったあの頃を、懐かしく思い出す。
彼or彼女は、どんな2016年を過ごしたんだろうか。
いっぱい楽しい思い出を作れただろうか。
試練の多い1年だったろうか。
どちらにしても、等しく1年は過ぎていく。

みんな、元気でね。
会う事は無くても、ずっと心は近くにいるよ。

いつか再会出来る日が来たら、沢山話そうね。
そんな事を思いながら、 万年筆を滑らせる作業に入ります。

そして免許の更新は・・・

先日の記事に書いた通り、
メガネ、作りましたよ。ええ。
そして、誕生日が来ました。

またひとつ、年を重ねてしまったw

今年は免許証の更新年。誕生日が来たら、一ヶ月以内に地元の警察署か免許センターに行って免許証を更新しないとイカン。

こういう作業は腰が重い(いや普段から重いけど)私です。
でもさ、
先延ばしにしてラッキーになる出来事なんて、そうそう起こらないもんです。

ああ。
パソコンの画面を見て【更新する】をクリックするだけで数分後には

【更新が完了しました。新しい免許証の有効期限は平成33年の○月○日になります】

みたいな簡単シンプル手続きにならないもんかねー?

それでも、昔と比べたらずいぶんと簡略化されている気がします。

だって前はさ、警察のそばに「代書屋」があってそこで更新の書類を作ってもらって、証明写真(白黒)も撮って、警察に申請に行ったんだもんね(笑)

それが今は、住所と名前と暗証番号くらいしか記入しない。

色々な事が簡単になる一方で、
色々なモノが複雑怪奇になっている。
黒なのに白になったり灰色になったり・・・
それが通っちゃうんだもんね(笑)←意味深だなw

でもまぁ、免許更新に関しては、免許を取って間もない20代前半と久比べたら、ずいぶん楽になりました。

だからさ、頑張って警察行っとこうよアタシ。
そうやって自分をなだめすかして、重たい腰をあげました。





地元警察署の別館にある免許更新コーナーは、
私がそこに着いた時、2人のおじいさんしかいませんでした。

(ラッキー♪空いてる)

受付を済ませると、すぐに名前を呼ばれました。

「視力検査しますからねー。機械の中のぞいて、開いてる方を言って下さいねー」

私は作ったばかりのメガネを片手に持ち、視力検査機ののぞき穴に目を当てました。

「右」「上」「下」

「はい、視力オッケーですねー。じゃ次は写真撮りますので椅子に腰掛けてお待ちくださーい」


は・・・(゜ロ゜)?
ちょっ・・・・

エーーーーーーーーーΣ( ̄□ ̄;)ーーーーーーーー!!!

裸眼で検査通っちゃったよ!!!

メガネ作って来たのにーーーーーーーーーー!!!

もっとも、眼科医で視力を検査した時に、左0.5の右0.7で、
「これなら免許の視力検査はぎりぎり通ると思うけどね」
と、院長先生に言われていたのでした。
なので、その通りになった訳です。

 

メガネ無しで更新が済んで、良かったっちゃーそうかもしれんけど、

なんか勇み足だったような、もったいないような、
メガネ女史デビューが遠のいて寂しいような(笑)、

なんとも言えない複雑な寂しさと安堵感に包まれたのでした。

そして、
免許証用の写真を撮影。
撮影前に担当の署員さんが、
「撮影前に身だしなみもチェックして下さい」と言い、傍らの鏡を見る事を勧めました。

私は鏡をチラッと見ると、
「いじっても大して変わりませんね」とおどけて見せて、署員さんを笑わせましたw

そういうおちゃらけキャラはまかせろ(笑)

無事に写真撮影終了。
できあがった顔は、ちょっとニヤニヤしてましたww
この顔と5年間つきあうのか(笑)


そして、その後は、お約束のビデオ鑑賞。

毎回そうですが、
「事故起こすとこんなに大変だからお前ら気をつけろよ」
・・・的な内容です。

鑑賞前に、担当署員さんが埼玉県の事故発生状況などのデータを読み上げます。

そのしゃべり方が妙に抑揚がついていて、何だか講談師の講釈みたいで面白くて、

(このおまわりさん家はきっとそろばん塾かもしれん・・・・)
(いや、おじいさんがきっと講談が好きだったんだ・・・)

などと余計な事ばかり妄想してたら、県内死亡事故発生が多いと言う深刻な状況の説明なのに全然頭に入らなくて、妙におかしいと言う不謹慎ぶりw←マジでおかしくて困ったwww

それが終わると、受付番号を言って免許証をもらって終了。

時間にして1時間ちょっとかな。
スムーズに事が運んで、あっという間ににやけた免許証完成www

ま、いいさ。一応【優良】だからw

メガネ女史になる!

実を言いますと、

私は11月生まれです。



だからなんだ!・・と、今は言わないで(笑)

でもって、
今年は自動車免許の更新です。

遡ること5年前。

私は免許更新で地元の警察署に出向き、更新手続きをしたのですが、視力検査で思い切りダメ出しをくらいました(^◇^;)

免許証をお持ちの方ならお解りかと思いますが、
免許更新の視力検査は、検査機器を覗いて、その先にある「E」に似た文字の「開いている方」(アルファベットのEなら、右、カタカナのヨなら、左、となる)を答えるのです。ところが・・・


しょっぱなからぼやけて見えない・・・
(これは原因がありました。車で警察署まで行った後、更新手続きに入る前に、目を手でこすってしまったのですよ)

警察署の担当署員さんから、
「これが見えないの?となるとメガネかけないとだねえ・・・ちょっとこっち来て」

私は、更新手続きに来ていた他の人達の視線を一斉に浴びながら、別室の視力検査室に呼ばれ、そこでごく一般的な視力検査を1人だけ受ける事になりました。

よくある、「C」の開いてる方向を言うヤツですよ。
そっちで頑張って、右だ上だ左だと答えた結果、

署員「んー。ま、OKだね。今のところは」

なんと、OK貰いました!神様ありがとう!!!

署員「だけど、ギリギリだから、次はメガネが無いとおそらくダメだよ」
と、次回更新時のクギを刺されましたが、なんとか眼鏡無しで通すことが出来ました。

半年後、
とりあえず眼鏡は作っといた方がいいかも、ってんで、日高某所で1万5千円の眼鏡をオーダー。

がしかし、
普段からサングラス的なものも滅多にかけた事が無い私はどうにも眼鏡に慣れず、暗くなっての運転時くらいしか使いませんでした。

今思えば、
あまり考えもせず眼科医の処方箋も無しに、眼鏡店の簡単な検査だけで作ったから合わなかったのでしょうね。

あの更新から、5年。

また視力検査で引っかかって注目を浴びるのはこりごりなので、先週末に眼科医を受診しました。

人生、初眼科医受診!!!

あ。違う。
・・・2度目だった。

生後数ヶ月のまだ「バブバブ」としか言えない、いたいけな赤子だった私、市内のA眼科を受診しています。
まぶたのうらに膿みが溜まって腫れてしまい、母がおぶって連れて行きました。

メスでチョチョッと切って膿みを出してもらったそうですが、
私は嫌がらず、泣きもせずにキョトンとしていたので、院長先生に、
「この子はエラい!」と褒められたそうですよ。ホッホッホ・・・・
(その頃から鈍かったんじゃね?と言う突っ込みは現在受け付けておりません)


話がそれました。
私が今回受診した眼科医は、そのA眼科ではなく、駅前にあるY眼科。
視力検査の他に眼底検査、眼圧検査なども行い、処方箋を書いて頂きました。

そこで驚いたのは、
前回の免許更新で引っかかった視力、0.5より下回っていると思っていたのですが、
右0.5左0.7と、更新ギリギリの視力を保っていたと言う事です!

なんだ!見えてるじゃん私!!眼鏡要らない?

ただ、乱視が相当進んでる、と。

乱視・・・だ、と・・・?(*゜ロ゜)
どうりで変にぼやけて見えるわけだ。

実は父も左右0.9ですが乱視が強く若い頃からずっと眼鏡をかけています。

視力って遺伝するのか?
あまり似て欲しくないところが似てしまった・・・
(すでに私は口が悪い・ぶっきらぼう、と言う悪い所が似てるのにw)

検査の時、すんごいシミシミな目薬をさされて、暗い部屋で明るい光源方向をジッと見なければイケナイと言う罰ゲームみたいな検査も受けたのですが、病気的なものは無いとの事。

あとで眼科に詳しい友人に、あの目薬は「麻酔」だったと教えてもらい、へええ・・・と驚いた次第。

と言う訳で一通り検査を終了、処方箋も頂いて帰宅。

そして翌日はそれを持って、駅ビルにオープンした、お手軽眼鏡で有名?なJへ。

メガネ屋さんのスタッフは、通常揃ってメガネをかけておりますが、
Jのスタッフさんは、メガネ女子の中でもとびきり可愛らしい女性でした。
ショートカットに、きれいなピンクの頬紅。
最近の女の子は頬紅を頬の高いところに丸くふんわりとつけてるでしょ?
「おてもやん」みたいな感じで。
↑↑「おてもやん」とか言う時点で年代が特定されそうですな( ̄▽ ̄;)


小さな顔に、ウェリントンというフレームかな?アラレちゃんメガネの様な、タテヨコ広めのフレームがとても似合っていました。

お人形さんの様な彼女のアドバイスに、オバサンは照れながら耳を傾け、軽めのお手頃フレームをチョイス。
今週末には出来上がります。

メガネ女子、と言うのは年齢的に憚られますので、メガネ女史。
でもなー、女史ってちょっと格好いい系なイメージだしなー。

などとウダウダ考えつつ、
そんな事ぁどうでもいいじゃねーのwと思ったり(笑)

ああ、でもやっぱり待ち遠しいね。メガネw

結んでほどいてまたつなぐ?

1ヶ月以上予約して無かったので、久しぶり。

池袋にある、えびす整体に行って来ました!

www.abc-seitai.com
急な予約でしたが、夕方に時間を取って下さいました☆

ここのところ、PCでの色んな業務が立て込んでいて、
目はしょぼしょぼだし首・肩・背中はバリバリに凝っていて、な」んかもー、
「自分は疲れている」という自覚が薄れて来たせいか、ボンヤリしている事が多くなった様な気がしていました。

目の前にはやらねばならない事が山積しているのに、それをただボンヤリ眺めて、

「これは一体なんだったっけ・・・」と思い返している状態。

こういう時に、誰かに頬とか張られると一気に目が醒めるのかもしれませんが、
今の私は目覚めの体力気力も残ってないくらいに消耗していたので、
ここはやはり、ゴルゴ院長の「ワザ」に期待した方がよさそうです。

施術室に入るなり、院長曰く

「あ、首が凝ってるね。左のアゴもちょっと違和感あるね」

触診もしていないうちからズバズバ当てられて、思わず笑う私ww

数日前から、アゴがカクカクする事があり、顎関節症?と思っていたのでした。

そして、背中をスリスリ、で、また後ろにフワ~~~ッと倒れる私。
その後、首や肩をツツツッと押され、さすられる。

気がつけば、開き気味だったらしい?骨盤が締まってる。

 

あれれれれれ?(;゜ロ゜)


さらに、
仰向けになって横たわった時の事。

以前から書いている様に、
私には大きなどら焼き状の子宮筋腫があります。
通常、7センチを超えると摘出手術になるのですが、
現在の私の筋腫は8センチ超え。
十分「切腹」の範疇です。

がしかし、年齢的に見ても、もうじき閉経です。

それまで何とか経過観察で乗り越えようとしている私・・・

仰向けになると、
筋腫がどこら辺にあるのか自覚症状があります。
なんかこうね、張ってるんです。
特に月経前は張ってきます。
月経が終わるとシューンと小さくなる感じ。

予約した日は4日目で、まだちょっと量が多い状態(通常、私の月経期間は7日間です)でしたから、仰向けになると張っているのが解ります。

 

ゴルゴ院長は手の平で円を描くように、筋腫の周りをさすり始めました。

 

「お、いるね。ここに」

ええ、「います」よ( ̄▽ ̄;)います、とも。

院長は目を閉じてスルスルと円を描き続けます。

「今、紐で縛られてるから、ほどいた・・・よしよし・・・」

 

はい?

・・・ヒモ?

なんかそれって、

散歩中にリードが絡まった犬を解放してる感じでしょうか??

首や胴体にリードが絡まる。
私も犬は数頭飼った経験がありますので、そういう事はしょっちゅうありました。

グルグル回って、リードが首に巻き付いちゃった時、動くのを押さえておいて、絡まった紐をほどいてやるとまた自由になって犬が喜びます。


ゴルゴ院長、さらにさすって、
「うん、言う事聞いた。んで、もう一度ここにつないで・・・」

 

つ、つなぐの?(@@;)

「さ、これで収まったよ。触ってみて!」

私はおそるおそるお腹を撫でてみました。


あれ?こわばりがない!

どら焼きがない!

どこさ行った?(*゜д゜*)

これはもう、何度も経験しているのですが、

筋腫が一時的に小さくなった様に感じます。

実際に小さくなってるのかどうかは、超音波による検査を受けないとわかりませんが(最近サボってる)手で触った感じからすると、小さくなった・・・というか、

静まった、と言う感じです。

筋腫が何故出来るか、と言うと、
女性ホルモン異常とか色々原因があるのでしょうが、
私はこの春に受けたヒーリングで言われた事がすごく心に響きました。

「あなたは今生では子供を持たない生き方を選択してこの世に生を受けた。なのに、結婚したら子供をまず産まなければ、と言う義務感に縛られて産もうとしてしまった。
その為、本来の今生での目的がスムーズに果たせず、その矛盾が筋腫となって子宮に宿ってしまったのです」

子供を産まない人生を自ら選択していながら産もうと努力した結果、子供を授からない代わりに筋腫を授かってしまった、と言う訳です。

これを読んで、
何をまた根拠の無い、スピ系の荒唐無稽な話を信じてるんだ(笑)・・・と思われる方もいらっしゃるでしょうが、私自身は、

「ああ、やっぱりそうだったんだ!!」と目の前が明るくなる様な気がしました。

それまで、お腹に「宿った」この良性腫瘍を嫌悪し否定してきたけれど、考えてみれば、これはある意味「我が子」です(笑)


私はお腹をさすりながら「ごめんね。こんな形で産まれる事になってごめんね」
そう、呟いたのでした。

そしてまたまた、
ゴルゴ院長、色んな「新ワザ」を駆使してくれましたよw

ゴルゴ院長の施術を受けると、骨格が収まる所に収まるせいか、靴やジーンズが緩くなる事があります。

私はその日、
数日前に買ったばかりの黒いショートブーツを履いていきました。
皮革がまだ硬くて馴染んでいないので、慣らし履きです。
当たって痛いところはないけれど、履き慣れないので足がいつもより疲れていました。そのうえ緩くなったのでは、更に足の疲れが溜まります。

そんな話をしたらゴルゴ院長、早速かがんで私の足に手を添えて、

「じゃあ、同調させるよ・・・・・はい!」


・・・あれ?・・・え?


足幅サイズが少し広がった感じだったのが、シュッと締まったのです。

そんな事ってアリなのか?

さらに、少し緩くなったジーンズも、
太腿部分にそっと手を添えて「・・・はいっ!」と手を離す時に、

しゅーん・・・・と締まるんです!

 

なんだろう?このおかしな感覚は(笑)

 

不思議過ぎるwwwてか、面白い(笑)(笑)

この「同調ワザ」はまだ「試作段階」なのですが、靴がパカパカになって歩きにくくなっちゃったら「同調して下さい!」と頼めばやってもらえます!多分(笑)

いやー、面白かった(笑)
整体ジプシーな私ですが、こんな面白くて不思議な所はそうそう無いと思います。

だまされたと思って行ってごらんなさいまし(笑)
院長もキャラ的に面白いので、楽しめると思いますwwww

それから、翌日はとーっても怠くて眠いので、運転や乗り過ごしにご注意!

さてと、次回はいつ予約しよっかなー(笑)

手放すとき。

毎年、ニイニイゼミが鳴く頃になると、
私は保健所から郵送されてくる書類に目を通して申請の準備に入ります。

なんの申請かと申しますと、
指定難病医療給付制度、なるものがありまして、
私の持病はその難病に指定されているのです。

こんな能天気で病気なんかしそうもない風体の私が難病持ち?
驚かれるかもしれませんね。大体、痩せてないし(笑)

私の持つ難病は、潰瘍性大腸炎です。

読んで字のごとく、大腸に潰瘍が出来ちゃう病気です。

原因不明のアレルギー疾患で完治が非常に難しく、症状は軽症から重篤なものまで幅広いです。
簡単に言うと、
大腸が大腸自身を異物とみなして攻撃し、腸粘膜を剥がして腸壁に潰瘍を作ってしまうのです。

軽症だと、ちょっとだけ下血するので、最初は「ぢ」かと思って放置しがち。
それが症状が進むと、排便の時に半透明の粘液の様なものが増え(ひっぺがされた腸粘膜)やがてそれが日に何度も排泄されるようになり、次第に赤く色がついてきます←腸壁に潰瘍が出来て血が出てるって事ですね。

さらに進行すると血液混じりの下痢が始まり、お腹に鈍痛や疝痛を感じます。
さらに、微熱が出たり心拍数が上がってきます。
私は1分間に100くらいでした。運動もしとらんのにさ。

下痢・下血の回数は日に5~10回。一番酷い時で20回以上もトイレに駆け込みました。
やがて猛烈な腹痛が日に何度も襲って来ます。
この時点で内視鏡検査をすると、腸壁には真っ赤な潰瘍がいくつも出来ています。
口内炎の親分(笑)みたいなのが一面に出来ている・・と思えば、想像するだけでも痛そうですね(笑)

これがね、もうね・・・気を失うレベルの激痛。
会社で仕事中に襲ってきた時は、なんかもぉ・・・刀でバッサリお腹を斬られたみたいな激痛(斬られた事ないけど多分そんな感じだよww)に絶叫し、椅子に座っていられずに応接間に駆け込み、ソファに倒れ込んだところで意識を失いました・・・・

その日、事務所には私1人だったので、誰にも気づかれないまま2時間もソファで気絶していました。
意識を回復した時には痛みは治まっていましたが、体力を使い果たした為に起き上がるのもやっとで、その日はそのまま早退しました。

何かを食べると激痛&激しい下痢の繰り返しなので、食べる事が恐怖に変わり、食べたいけど食べられないと言うストレスが更に症状を悪化させ、坂を転がり落ちるように具合が悪くなって起きられなくなりました。

この病気、専門医が非常に少ない(2006年当時)。
ネットで調べて、炎症性腸疾患に詳しいクリニックが航空公園駅近くにあると解り、藁にもすがる思いで受診。
診断結果は「潰瘍性大腸炎」で、レベルは「中等症」(真ん中辺て事よ)。

そして、保健所に難病申請をして、私は難病患者になりました。

申請が認められると、医療費が年収に合わせて自治体から補助されます。
これは有り難い事です。治療方法によっては、月額で100万単位の出費になる場合もありますが、それが数千円で済むのですから。

ちなみに、
この病気は、かの安倍総理も罹患しております。
あの方は学生時代に発症し、当時は病名も治療法も確定せず大変な思いで病気と闘って来られた様です。
前回、総理大臣になられた時に体調不良を理由に突然退任されましたが、あれはこの病気が悪化した事によるものでした。

当時の主治医も「この病気を持っていたら、とても総理などつとまらない」と申しておられましたが、新薬の開発も進んで今では緩解期(治った訳じゃないけど症状が治まって元気な状態)を維持されているご様子です。

総理を支持してはおりませんが(笑)同じ病を持つ者同士として、
下血止まって、よござんしたねー。
と言う気持ちはありますwww

難病発覚から10年が過ぎました。
今の私は緩解というか、ほぼ完治状態です。
なので、毎年続けてきた難病申請も「卒業」する事にいたしました。

こうした給付金は、
実際に症状があって日々辛い思いをされている人の為にこそ使われるべきであって、私の様に無症状で通院もせず薬も飲んでいない人間が「難病持ちだから」と継続申請するのは、何か違う様に思うのです。
 ※これは私個人の主観ですので、全ての難病患者さんにこうすべき、などとは決して思ってはいない事をどうかご理解下さい※

難病患者が持つ給付金の受給者証(保険証みたいなものです)は毎年9月末で無効になります。
なので、初夏の頃に指定医療機関を受診し、申請書類、年収の解る書類、保険証などを揃え、大腸内視鏡検査の結果報告書を作ってもらって、保健所に提出します。
この一連の作業が結構大変!年1回とはいえ、2リットルの下剤を飲んで腸内を空っぽにして内視鏡検査に臨むのは体力も必要です。

検査を受ける事自体は健康維持には大切かもしれませんが、更新手続きは・・・

散々考えて、卒業する事を選びました。

完治不可能な難病がどうしてそんなに良くなったかと言いますと、
これは漢方薬のおかげです。
2010年、私の大腸は西洋薬が効かなくなり始めていました。
その前年、アサコールという新薬が登場し(安倍総理も服用されているとか)私もかなり症状が軽くなったのですが、7月半ば頃から再び下血が酷くなり、服用量を増やすものの症状は改善せず、次は入院して絶食状態から改善させるか、或いは全大腸摘出か・・・と言うところまで来ていました。

入院も切腹もゴメン(笑)な私は、ネットで調べた漢方薬を試してみる事にしました。

それは広島市にあるクリニックだけで処方される「特効薬」で、
完治状態まで回復した症例も数多く報告されているものでしたが、薬品の認可が下りず保険が利かない状態でした。

また、処方してもらうには緩解状態ではなく再燃状態(悪化している)限定との事。

ちょうど再燃し始めた所でしたから受診は出来るものの、とおい・・・・

新幹線に乗ったのは、中学3年の時に修学旅行で訪れた京都・奈良への移動以来(笑)

切符の買い方も知らない私(汗)それでも何とか、お腹をおさえつつ広島に辿り着き、無事に漢方薬を入手する事に成功。

あれから6年。
現在はほぼ無症状です。

素うどんを半分やっとこさ食べられるレベルで、
「カレーは命取りになるから絶対に食べてはいけない」
とまで言われた私が、今では辛いインドカレーをバクバク食べられます。
天ぷらうどんもラーメン類も制限なく食べられます。

ただ、キムチはちょっと警戒中。元々そんなに食べないので制限は一向に平気。

珈琲も濃い目のブラックを飲むし、ナマモノも普通にOK。

ホント、元気になって良かった・・・しみじみ。

潰瘍性大腸炎が実際に完治しているのかどうかはよく解りませんが、
漢方薬もすでに飲み終えて服用しているものが無い状態での緩解状態維持は、
もう治っちゃったって事で良いのかもw

この後、何かの拍子でまた再燃したとしても、その時はその時。
また新たに難病申請するか、漢方薬をもらいにまた広島まで行くさ(能天気)。

今現在の私の大腸は、本当に元気なのだから。
難病を免罪符にしてあれこれ逃げるような事はしちゃいけない。
それは治ろうと思う気持ちが無い証拠。
病気に甘えてはいけない。「難病患者」のレッテルは、

もう、手放すとき、なのだから。

悪化から10年。
苦しみ辛い月日がありましたが、今となってはそれも大切な「体験」でした。

ありがとう。(病気に向かってお礼言いたいです)

さて、これからまた色々と頑張るさ!元気なのだから。